ロバート・チャールズ・ウィルスン『無限記憶』

This entry was posted by on Sunday, 9 August, 2009

昨年の『SFが読みたい!』年間ベスト海外SFにおいて、SF関係の作家、書評家などから圧倒的多数の票を受けトップとなった作品『時間封鎖』の続編。

……ただ、あらかじめ書いておくと、私は前作も好きではなかったし、正直に言って今回はもっとだめだと思った。といっても、明確にひどいところがあるということはない。言ってみれば平凡な作品だと思う。

ある日突然に地球が謎の障壁によって外部の宇宙と隔絶、しかも地球は外の時間の1億分の1の速度でしか進まなくなってしまう。この「スピン」現象によって、地球上で40年が過ぎるうちに太陽は寿命を迎えてしまう! というすごい設定を縦軸に、3人の男女の人間ドラマを織り込んだのが前作。ごく幼いときに時間封鎖を体験し、その解消を目指して研究したり、火星植民や障壁を作り出した謎の存在「仮定体」をめぐる考察などが繰り広げられたりといったパートは面白くはあったのだが、個人的に肌に合わないなあと思ったのはキリスト教っぽいところ。スピン現象の不安によって既存、新興どちらの宗教も大流行し、3人のうちひとりは特殊な宗派にのめり込んでいく。その反目と和解がドラマを駆動させていたわけだが、この辺の描き方はいかにもアメリカ的で好きになれなかったのである。

前作では最終的にスピンによる時間封鎖は解消され、一方でくぐると遠く別の星系の惑星へとつながる謎のゲートがインド洋沖に発見されたところで終わる。本作は前作から30年ほどが過ぎた後、その新惑星が舞台。今回は火星植民によってもたらされた「第四期」技術や仮定体とのコンタクトの試み、惑星に降り注ぐ機械の破片といったSF設定をちりばめつつ、仮定体の正体に迫る人々と、それとどうやら関わった末に失踪してしまった研究者の父親を探す女性の逃避行といった構成になっている。

前作の『時間封鎖』は、時間封鎖現象によって引き起こされる社会の反応がいかにもキリスト教的というかアメリカ的で、個人的には不満の残るものだったとはいえ、地球全体を封鎖するという設定や火星植民のくだりは個人的には面白かった。ところが『無限記憶』の方にはそういう凄いネタがあんまりない。降りしきる機械の破片という情景、眼をもった薔薇という気持ち悪い描写なども悪くはないけれど、どうも小粒感が残る。設定以外に何があるかというと、たとえば物語として面白いかというと、つまらなくはないがごく普通と言っていい。要するにどうしようもなく平凡なのである。

まあ、そういうのを読むのもたまには悪くはなくて、しんどい本ばっかり読むとつかれてしまう。あまりややこしいことを考えなくてもさらっと読めるというのは決して欠点ではないとも思うけれども、ただ褒めるところを見つけるのが難しいんだよなあ。

とはいえ、3部作の2作目だという事情もこれには関係しているだろう。結局、ツカミは1作目で済ませたわけだし、最終的に3作目で解決されるようなところ(たとえば仮定体の正体とか)を2作目でやっちゃうわけにはいかない。もちろん、そんな事情は斟酌する必要はないんだけど、単なる繋ぎ以上の何かを本作に込められなかったのがウィルスンの失敗だろうというのが本作に対する個人的な結論である(解説によると3作目への伏線が張りまくられてるらしいんですけど)。

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