スライドは何のために公開するか
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://kakutani.com/20090212.html%23p01。なんでみんなこんなに興奮してるんだかさっぱり分からないんで誰か説明してくれませんか。全く冗長な上に肝心なことはなんとなく図式だけだったりするので、さっぱり伝わらないスライドだと思います。
もちろん、スライドはプレゼンテーションで使われるものだから、肝心なのはプレゼンが素晴らしかったかどうかということです。それにスライドを読めば発表がわかるタイプのプレゼンというのはダメであることが多いんで、スライドを読んでもわからなかったというのはダメなプレゼンであることを示唆しないばかりか、いいプレゼンだったということを逆に示唆するような気もします。
だからってまあ、スライドだけじゃあ意味不明なのは変わらないっしょ。
前から思うけど、学会と違ってこの手のイベントでは予稿集がないことが多い。素晴らしい発表も重要だが、予稿集として書き残しておくことの重要性というのを最近はとみに感じます。発表っていうのは基本的には水物だからね。前にも違う文脈で、似たようなことをどこかで書いたけど、予稿集には予稿集の機能というものがあるのです。
予稿集の機能というのは、簡単にいうと「まとまった長さできちんと構成され、それなりのことが書いてある文章を集める」ということではないかと思います。
予稿はブログではない。ブログエントリは基本的に凄く短くて、継続的に読んでその人に親しむのには向いているけど、内容はどうしてもコンパクトになりがち。ブログを読んでいる人の大半は常連なので前提をすっ飛ばしてキャッチコピーだけ書いたりしがちだけど、そういうものは「いちげんさん」にはわかりにくいわけです。構成もシンプルだったりカジュアルになりがち。
予稿集にはハブの機能があるかも。でもまあ、これは今じゃリンク集とかトラックバックとかソーシャルブックマークとかいろいろを使えば、そんなに大変でもないからよしとした方がいいかな。
予稿を書くことは書き手にとってもいいことではないかな。「いちげんさん」にとってもわかりやすい文章、背景と前提から語り起こす文章というのは、自分の活動を改めて見つめ直すという効果があります。プレゼンで話すのと、文章に書き起こすのには明確な違いがあります。少なくとも、ぼくにはある。
そういうわけで、プレゼンテーションスライドというのは通常、予稿の代わりにはなりません。予稿を読み上げるのが良いプレゼンではないというのと同じように、あとから読み返すときにわかりやすいのは良いスライドではあるとは言い難い。あとから読み返すときのために最適化された文章が予稿ではないかと思います。そういえばJapan Linux Conferenceって論文を募集してますね。私のイメージはああいう感じ。
こういうのって、なんか書けば書くほど自分にブーメランが返ってくるだけのような気がせんでもないけど、まあ気にせず公開だ。
補足: もちろん、普通の学会のようにPDFで2カラム何ページ、みたいなものを書く必要はないと思いますけど。でもブログエントリで可、というのとも違う、微妙なところがあるんじゃないかと思うんですよね。
Paul Grahamは講演内容を後でエッセイにまとめることが多いですね (もともとスライドをほとんど使わない人ですが)。後で読む形式としてはとても良く機能しているように思います。
興奮している人たちは過去に角谷さんのプレゼンを見たことがあって、このスライドにどれだけ力が入っているか(==プレゼンそのものがすごかったか)想像できるからだと思う。だからみんな動画を見たがってるわけで、スライドだけ見て中身がわかって騒いでる人なんていないんじゃ?
予稿やエッセイを書くのはいいことだけど、たぶんこの熱気は伝わらないよね。