ジョーゼフ・ヘラー『キャッチ=22』

This entry was posted by on Wednesday, 9 January, 2008

キャッチ=22 上 | キャッチ=22 下

昨年はぜんぜん本を読めなかったが、今年はもう少しは本を読みたいと思う。まあ、今はアメリカにいるのでなかなか難しいところだけど、とりあえず気になる新刊はひとまず amazon のカートに放り込んで、帰国してからまとめて買うつもり。こっちにもいくつか本を持ってきていたのだけど、昨年末に読みつくしてしまった。大した冊数ではないから、もう少しは読みたいというのを抱負にしたい。

で、最後に読んでいたのが掲題の『キャッチ=22』。しかしまあ、なんというか、あまりにも古典的名作なので言及するのもどうにもなあという感じなのだが、読んでみたら確かに面白かったので感想を書こう。

面白いというのはべつに文学的見地からしてということではまったくない(というか、わたしにはそんな文学的センスなんてありません)。『キャッチ=22』は簡単にいうと不条理コメディなんであり、その意味でめちゃくちゃおかしくて笑える。登場人物はほとんどみんな狂っており、状況もデタラメで、規則や推論は互いに矛盾し、言葉には逆説や否定疑問がうまく混ざって奇妙さを与え、会話はほとんどまったく成り立っていない。それに合わせるように、物語の進行や時間の流れもデタラメに遷移する。

たとえば、序盤にはこんな会話がなされる。

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「なにをしているんだ」と、ヨッサリアンはテントに入るとき用心深くたずねた。なにをしているかはすぐにわかったのだが。 >

「ここが漏るんでね」とオアが答えた。「修繕してるところなんだ」 >

「たのむからやめてくれ」とヨッサリアンは言った。「いらいらしてくる」 >

「おれは子供のころ」とオアが返事がわりに言った、「一日じゅう両方のほっぺたに野生りんごを入れて歩きまわっていたものさ。片方のほっぺたにひとつずつ」 >

ヨッサリアンは雑嚢から洗面用具をとり出していたが、それを脇によけ、いぶかしげに腕組みした。一分たった。「なぜ」と彼はとうとう質問せずにはおれなかった。 >

オアは得意げにクスクス笑った。「なぜって、そのほうが橡(とち)の実よりましだったからさ」 >

(中略) >

「野生りんごが見つからないときは」とオアは話をつづけた、「橡の実を使ったものさ。橡の実は野生りんごとだいたい同じ大きさだし、形ときたら野生りんご以上だ。といっても形は問題にならないんだが」 >

「なぜ野生りんごなんかほおばって歩いたんだ」とヨッサリアンはまたたずねた。「それを聞いていたんだぞ」 >

「なぜって、橡の実より形がいいからさ」とオアが答えた、「いまそう言ったばかりじゃないか」 >

(『キャッチ=22』(上) pp.38-40)

作中の会話は、おおむねこんな感じで噛み合わないまま続いていく。

けれども、いかにバカバカしく笑えるとしても作品の空気はむしろ暗くて重い。戦場が舞台で、死と隣りあわせの環境なので、登場人物たちは時に狂騒的に騒ぐけど全体の雰囲気はつねに重苦しい。その重苦しさがあるので作中の狂気はむしろ絶望につながっている。

ちなみにタイトルの「キャッチ=22」は軍規の第22項のことで、これが陥穽 (キャッチ)となって縛りつける。たとえば、狂った兵士は本人が申請すれば飛行勤務が免除される。ヨッサリアンは「おれはきちがいだぜ」と主張して、飛行勤務を免除されようとするが、「戦闘任務と免れようと欲する者はすべて真の狂人にはあらず」という理由から却下される。これがキャッチ=22の一例というわけ。ただ、肝心の「キャッチ=22」自体は作中にはあんまり出てこないし、そこに気を取られなくても良いだろうという気がするが。

本書はアメリカで1961年代に発表され、やがてベトナム戦争のころに爆発的に売れたのだそうだ。確かに本書は(舞台が第二次大戦だけあって)戦争の不条理を描いたという見方をするのがふつうだし、ベトナム戦争を背景とすればこの不条理も入って来やすい。上にも書いたように雰囲気の重苦しさも、そのような物語……つまり戦争小説として読むことを後押しする。でもべつに、現代の僕らは「戦争文学」とか「ベトナム戦争が云々」みたいな難しい顔をして読まなくてもいい。『キャッチ=22』は戦争というよりは、不条理な世界の閉塞感を描いているからだ。不条理な世界も閉塞感を感じる世界も、戦争にかぎらずそこら中に転がっている。

話はループするけど、いかに重苦しいとしても、現代社会の不条理を連想させるとしても(いやだからこそ?)『キャッチ=22』の不条理はやっぱり可笑しく、笑い飛ばせる。それがいい。

One Response to “ジョーゼフ・ヘラー『キャッチ=22』”

  1. 牧眞司

    『キャッチ=22』を読んで、“でめちゃくちゃおかしくて笑える”というのは、「文学的センス」そのものでしょう。キミは正しい。オレも楽しい。