森見登美彦『有頂天家族』

This entry was posted by on Friday, 28 September, 2007

有頂天家族

意外なことに新境地だった、というべきか。これまでの作品群とは似ているが異なる作品である。

森見登美彦。『太陽の塔』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞してデビューした作家で、そのデビュー作の中身はといえばモテない大学生が京都を右往左往するというものであり、それがちっともファンタジーに感じられないボンクラどもの心を鷲掴みにした。その後も京都を舞台に、女っ気のないボンクラ大学生のうだうだした生活を得意としている。例外といえるのもホラーの『きつねのはなし』くらいか。ただ、『太陽の塔』はリアリズム小説だったがその後の作品では幻想味やSFっぽい設定なんかも多い。

で、この『有頂天家族』はやっぱり京都が舞台であり、やはり斜に構えたがる男が主人公という基本的なフォーマットは共通しているし、偽電気ブランとか詭弁論部といった共通設定も垣間見える。のだが、雰囲気が異なる。基本的な物語は人間に隠れて暮す狸たちの(やっぱり)うだうだした生活なわけであるが、作品のテーマがこれまでと異なり、この狸どものつかず離れずな家族愛のようである。

詳しい登場人物については作者自身が紹介しているのでそちらを見るのがよろしかろうが、一家四兄弟+母(父はすでに亡い)という設定で、しかしまあ何をするかといえば大したことをするわけではないが、それなりに楽しく暮らしている。そんな彼らの家族愛は、妙に暑苦しいところがなくて良かった。

もう少し考えると、彼らの家族愛はなんというか非常に都会的なのだな。だいいち一族同士の抗争なのだから本来なら親戚があれこれ出てきてもおかしくないところだが、ほとんどは核家族的な関係のみである。古都が舞台だが父より上の者については遥か歴史の彼方でおぼろげな輪郭しかなく、親戚一同が集まったりするようなこともないし、逆に言えば親戚同士のややこしい関係みたいなリアルにはありうるが面倒くさい話も特にない。そもそも家族すらふだんから顔を合わせるようなたぐいのものではないし会えば仲睦まじいということもない。けれども事が起これば家族が一致協力するといった風。そもそも森見の作品では、舞台は京都だし言葉づかいも古めかしくしてあるのだけど、感性は非常に都会的だし現代的で、だからこそわたしなんかには非常に心地良いものなのだろう。

基本的な文体やキャラクターや展開はこれまでの森見のフォーマットに則ったものなので同じようにも見えるのだが、そういった点がこれまで通りではなく、そして面白かった。

ところで、『太陽の塔』を読んだときには「滅茶苦茶面白いのだがこの作者はこればっかりということになりはしないか。それでいいものか」と真剣に思ったものだった。それですぐあとに出た『四畳半神話大系』なんかもしばらくは「同じような話なのだろう、それでいいものか」と思って忌避してたりしたのである(後に読んで滅法気に入ったものだが)。けっきょく今まで(『きつねのはなし』という例外はあるけれども)基本的に似たような話ばっかりでここまで来た森見だったが、ことここに至り、同じような世界観で新境地を拓いているのを読むと、面白かったが一抹の寂しさを感じてしまうのだった。読者というのは勝手なものだ。

とはいえ、わたしが楽しく読んだ部分には赤玉先生と主人公と弁天様のあたりの関係の占める割合も大きく、これはこれまでの森見の基本フォーマットといえるから結局同じようにしか楽しめてないのではないかという説もあるのだけれど。

登場するキャラクターのなかでは矢二郎が良かったかなあ。とくにラストの大活躍はほとんど当然といっていい流れであるにもかかわらず、うっかり感動をしてしまったことであるよ。あと海星もいいよな、うん。

しかしこの(↑)ウィジェットはどうかね? 重い気もするけれど。

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