日本語版ウィキペディアについて(あるいはredditのコメントの言い訳)

This entry was posted by on Thursday, 28 December, 2006
> >http://d.hatena.ne.jp/yoriyuki/20061228/p1 > 基本的には同意。「基本的には」というのは、言われるようなことがたとえば英語の wikipedia などでどれくらいやられているかとかを知らないから。それから、これまた感覚的ではあるけれども、 >
> >日本語版Wikipediaの文体全体がそもそも知的な訓練を経た人物が書いたものとは思えないように感じる > > >というところにも同意(こちらも、英語版のは英語の文章でそれが判断できるほど習熟していないですが)。適切な資料を適切に引くことや、いろんな部分に目配りの効いた文章などもそういうことでしょう。 > >わたしが長々とコメントを書いた点について、池田氏が有効な代替案を挙げていないという不満だと思われたのだとすればそれはわたしの不徳のいたすところで、実際は最初の一文に意図が込められていました。 > >つまるところ、本国でもウィキペディアの貢献者の大部分は匿名だという主張があったりするわけです(もちろん、そうではないという主張もある)。であれば、「アメリカでは大部分のブロガーが実名で活動している」ということや、「匿名文化」なんていうのは何ら根拠にはなりはしないし、「2ちゃんねる化」というのもキャッチーだけどよくわからない言葉になっている気がするのです。実際に検証するには単純にウィキペディアへの貢献者を調べるべきでしょう。 > >もちろんそうした調査なしに発言してはいけないということはないと思うんですが、わざわざ実名の活動がどうの、というのを引き合いに出していくところから、なんとなく、全体の論調として「どうしても匿名/実名にもっていきたい」ような雰囲気を感じたのでした。 > >匿名かどうかということと、チェック機構の存在はかならずしも対応していないでしょう。たとえば、貢献者は匿名のまま編集者が固定的なIDを持って査読や編集を代行するという体制も可能性としてはありえます。それはウィキペディアではないように思いますが、それはそれで興味深い試みかも。 > >けっきょく日本語版ウィキペディアがたいして成功を収めていないのは、うまく貢献者を集められなかったことが問題だろうと思っています。優れた貢献ができる人材がいないわけではなく、そういった人間が貢献をしたくなるような環境を整えられなかったという。 > >「2ちゃんねる化」という表現は感覚的にはわかる話で、それほど大きな貢献を為しうるわけではない人材が非常に膨大にあわさって、日本語版ウィキペディアというのは構成されているような印象をわたしは持っています。もちろん、なかには優れた貢献もあって、なかには優れた記事もある。それは2ちゃんねるが「便所の落書き」と蔑まれながらも「中には良いものもある」というフォローをされるのと似た構造です。しかし、それは2ちゃんねるに代表される「匿名文化」であるのか? というと、それは似ていないと思う。似ているのは♪ひとりひとりは小さいけれどひとつになればごらん無敵だ というような感覚を個々人が持っていることなのかなぁと(MOJOのフシでお歌いください)。 > >ところで、基本的に質が低いページばかりのところでは「これくらいなら自分でも」「これがありならこれも」という具合に不誠実なページが増え、逆に全体的な質が高い状態が維持されているために書き込むのにもそれなりの覚悟を要求する、というフィードバックが働くと考えられるかも。こういう割れ窓理論もあまり好きではないのだけれど。 > >あ、池田氏の記事は読んだんですが、そのコメントまではぜんぶは読んでいないので、似たような指摘をしている人がほかにいるかもわかりませんね。 > >追記: アップロードしたのを忘れてですます調に書き直したついでに全体的な構成をちびっとなおしてしまったので更新されています。でも主旨は変わっていないはず。 > >でもだんだん自分の主張が捻れているような気もしてきた。 >

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