共感トラックバックをやめよう(2)
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>その1
>の続き。
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>面倒くさいのでこのまま投げっぱなしにしようかと思ってたんですが(笑)、マサトクさんにリンクされたので補足します。
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>まず、マサトクさんの挙げるように、共感トラックバックによって利益を受けるであろう読者層というのは存在しえると思います。僕はよほどの例外を除いてはそのような読者ではないですが、べつに多数派ではないそのような読者の言い分を述べているだけかもしれません。どっちが多数派かどうかは、正直よくわからない。
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>誤解されると困るなと思ったのは、この内容を受け手のロジックとして読まれるのはまずいということです。念のために書いておくと、僕の主張は、共感トラックバックを受け取ったら受け手は削除するべきである、というものではありません。さすがにそうではなくて、送り手側が、トラックバックを送る際に一寸手を休め、「まて、自分は本当にトラックバックに値する文章を書いただろうか。単なる共感トラックバックと化していないだろうか」と自省することを意図して書きました。だから「〜〜をやめよう」なのです。
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>そういう意味では、価値判断は恣意的にならざるをえないので一意に否定することの危険性は承知しています。受け手として共感トラックバックに有益な情報がないと言いきることは、たいていはできません。実際問題として、ただ共感のみというエントリーは普通は存在しなくて、少なくともどこの何に共感したか、という切り取りがある時点である程度の編集が加わるわけで、そこに価値を見出す人もいるはずです(元々のそのブログの読者とかね)。
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>ただ、だからといって個別の判断とするのは逃げだと思っていて、僕はやっぱりデメリットが大きくなりがちなので、単に共感したというだけの内容ならトラックバックを送る必要はないんじゃない、と自制を促したいのです。
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>なんというか、「どんな情報でもないよりマシ」という美名のもとに無益なものを生産しつづけてしまったというか。存在すること自体はいいんですが、無益なものでもなんでもトラックバックで送って世に知らしめるべきで有益だと判断してくれた読者がいるかもしれないからオーケーというのはさすがに違うのであって、自分で自分の書いたものの価値判断くらいしろよってことなのかもしれません。
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