長山靖生『「人間嫌い」の言い分』
>ふむ、確かに「言い分」であってそれ以上のものではない、と思った。
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>それは端的に言えば、長山さんの描く「人間嫌い」像が、割と一方的に理想化されていることであり、あるいは何が人間嫌いで何が人間嫌いでないか、人間嫌い的なものとは何か、ということがいまひとつ伝わらないことであり、人間嫌いの何が良いか、という視点がけっこう恣意的なものだからである。
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>基本的には、明治の偉人たちの人間嫌いブリを描写することで人間嫌いの良いところを描写するという試みと読めるのだが、ついつい筆が滑ったようないらぬことまで書いてしまって、果たして何が人間嫌いなのかわからなくなるという。
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>……というのはしかし、人間嫌いでない人間の視点だ。
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>一定の層いると確信しているが、これを読んで「ああ自分は人間嫌いなのだな」と自覚する人がいるはずだ。僕もそうだった。そのような読者にとっては共感を与える本となっている。ここが、本書のタイトルが「人間嫌いは「買い」である」ではなくて「言い分」であるポイントだ(いやあの本に含むところはないよ、未読だし)。
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>人間嫌いというのは実は有意義である、こんな美点もある、という話も、共感を引出すための文章であると考えれば、よくわかるし、実は人間嫌いとしては共感を持って読めてしまうわけである。そういう本としてこの本は実に面白いし、機能している。だからこの本の目的とは、人間嫌いという人種がこんなに良いという話ではなく、潜在的な人間嫌いに対して「あッ、オレは人間嫌いであったのか」と自覚を持たせるということであろうという気がする。その背景には、長山氏は若年層に潜在的な「人間嫌い」が多数おり、そのことで苦しんでいるのではないかという直感があるように思う。それが正しいのかどうかは知らない。
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>人間嫌いである、または、人間嫌いかもしれない、と思う人には一読をおすすめする。そうでない人には無駄な時間を過ごすだけだろう。
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