キック・アス

This entry was posted by on Monday, 22 November, 2010

キック・アス

うわってなった。

あらすじは、もうじき公開される映画版と一緒。こんな感じ:

どこにでもいるような冴えない高校生のデイヴ。彼はある考えにとらわれていた。「けど、なんで誰もスーパーヒーローにならないんだ?」

「マスクを被って人助けをすればいいだけ」、そう、たんにそれだけ。そしてデイヴはついに計画を実行に移す。eBayで買ったスーツに身を包み、鍛錬を始め、夜を徘徊する。「初めて鏡の前にたったときはコミックなんてデタラメだと思った。マスクを被るのにトラウマなんて必要ないんだ。両親が射殺された経験もいらない…宇宙放射線やパワーリングもいらない。100%の孤独…必要なのはそれだけだ」

そうやって夜の街を徘徊もといパトロールするうち、ふとしたキッカケで、チンピラとの戦い(っていうかわりと一方的にボコられてるだけ)がYouTubeにさらされ、一躍有名人となったデイヴ=キック・アスだが……。

実はこの映画版、俺はもう観たことあるんだが、この後の展開がちょっと違う。マフィアに狙われるところは一緒だけど、比較的陽性で(グロいけど)笑いすらある映画版と違い、原作のラストはもっとショッキングで、救いがなく、苦い。原作改変度でいうと同一原作者の『ウォンテッド』よりはマシだが、やはり本質的なところを変えてしまっているので、個人的にはこの原作は映画版を観てから読むことをおすすめしたい。映画版も面白いけれど、ただの人がヒーローになろうとすることを描いた原作とヒーローになることを描いた映画版は違うテーマの作品だと思うし、こう比較すると映画版にはある種の逃げがあるようにも思える。まあ、私が比較的原作至上主義的な性格なのもあるかも。

ところで、これは非常にアメリカ的な物語だと思った。アメリカというかバットマンのいる国の。

宇宙人であるスーパーマンや放射能グモに噛まれたスパイダーマンなどと違い、バットマンは言ってしまえばただの人だ。ただただ超人的な鍛錬を積み、莫大な資金力を持っているというだけで、スーパーパワーは持っていない(鍛錬の先にもかめはめ波のようなパワーの発露がない)。クリプトン星に生まれていない以上スーパーマンには決してなれないが、鍛錬さえ積めばブルース・ウェインにはなれそうな気がしてくる中二の夜。

どこにでもいるような冴えないヤツがコスチュームを着てヒーローを名乗る、そんなテーマの作品は日本ではギャグにしかならないような気がする(もちろん例外もあろう。私が最近読んだ中では『俺は生ガンダム』がおすすめ。や、ヒーローじゃないけど)。ヒーローってのはだいたい特別な出自を持ち、もしくは現実的ではない超能力を使えるものだからね。バットマンはつくづく特異なヒーローだ。

そういう意味で、この作品の副読書ともいえるのが『バットマンになる! スーパーヒーローの運動生理学』なのかもしれないなあ、などと考えたのだが残念ながらこの本は未読。そのうち読んで感想をあげようと思います。

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