LinuxとMacにおける思想の違いについて

This entry was posted by on Wednesday, 24 December, 2008

http://japan.zdnet.com/sp/feature/07tenthings/story/0,3800082984,20385745,00.htm

よくあることだが、このテの比較議論というやつは、書き手がどちらか一方にだけ詳しく、なにより愛情を注いでいるので、もう一方のことはよくわかってないまま比較する、ということが多い。だからトンチンカンなことを書きがちだ。

個人的な感覚としては、Linux(というかXというか)とMacとWindowsはそれぞれ文化が違うわけで、ほかのを使った当初は「文化がちがーう!」ってなって何とも言えない居心地の悪さを感じるのではないかと思う。その居心地の悪さから「使いにくい」「劣っている」という主張を導きだすのは悪いことじゃないのだが、普遍性のある論点にはなりにくいように思う。

X11環境はカスタマイズ至上主義だ。人間誰しも違うんだし、本当にその人にとって使いやすいふるまいというのはその人にしかわからないという考え方が根本にある。だから、あらゆることがユーザの思い描くままに変更・調整できないといけないわけ。誰が変えるんだそんなの、みたいな反論をしがちなんだけど、そこは本質じゃない。仮にそれを変えたい人がいたらどうするんだ、という発想をいつもしている。Macは逆の極端で、使い方とかはだいたい同じだという想定があり、「こう使うと使いやすいですよ」という思想も込みでデザインされている。その意図に沿ったかたちで使うなら素晴しいし、だいたいの人にはおおむねよくなるように作ってある。カスタマイゼーションは面倒だという認識があり、究極的にはカスタマイズなしできちんと思いどおりに動いてくれると最高だと考えているふしがある。Windowsはその中庸かな(あんまよく知らないので投げ遣り)。

ということで、個別の項目の揚げ足取りよりも、そういう文化の違いを念頭に置くほうがよいような気がする(書き手/読み手ともに)。その上で、「いやでもやっぱりこういうことは(自分には)よくあるし、そういう場合にはこちらの方が有効なんだよ」という風な話の持ってきかたをしないと、けっきょくすれ違いなんじゃないかな。

でもコマンドラインについては、批判するならせめてlaunchctlぐらいは知っててほしかったかも。

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グレッグ・イーガン『TAP』

This entry was posted by on Wednesday, 24 December, 2008

正直に言うと、イーガンの短編集のなかでは一番微妙なラインナップだと思いました。あまり面白くないものも結構あった。「要塞」とか。イーガンの問題意識はわかるんだが……。「新・口笛テスト」みたいなノーテンキなSFのは楽しかったけどね。あとは「視界」と「森の奥」は面白い。それと「銀炎」も、疑似科学ビリーバーに対する非常にイーガンらしいスタンスと、イヤなオチが素晴らしい。

何が微妙かというとホラー系の作品てことなんですかね。解説によると、インターゾーンの編集長にホラーよりはSFに専念したほうがいいと助言されたそうだけど、その助言に従ってよかったですねというのが正直なところ。ホラーを読みなれている人は、また違った感想になるのだろうか。

ところで「視界」って、逆さメガネをかける認知実験あたりが着想になってるんじゃないかと思うんだけど、違うかなあ。

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