水月昭道『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』

This entry was posted by on Sunday, 28 October, 2007

つい先頃まで大学院後期博士課程に在籍していた身としては、この問題については他人事ではないところがある。この問題を扱ったブログのエントリはいくつもあって、そういうのも読んでいた。この問題について新書らしくコンパクトにまとめる本であれば読みたいものだと思って、けっこう期待して読んだのだが……。

正直に言うとたいして褒められる本ではないと感じた。なぜか。

著者のスタンスはあまりにもナイーヴであり、表現形態としてもあまりにも情緒的だ。現状をきわめて悲惨に描いているし、それは確かに事実なのだが、おかげで本としてのまとまりに欠ける。結論にいたっては「これからは利他の精神が必要だ」というものだし。確かに新書一冊で結論が出るほど生易しい問題でないのは前提としても、問題の全体像すら見えず、なんだかよくわからん本だ、という印象を受ける。

わかりやすく言えば、本書の主眼は著者によるうらみ言にあるように思える。ようは業界哀話である。だが「ではどうすればいいか」という解決策はもとより「何が問題なのか」という肝心のことがもうひとつはっきりしない。

ブログエントリなんかでもポスドクの就職難についての議論はいくらでもあり、よく炎上しているが、思うにこの問題が紛糾しがちなのはひとくちに「博士」といっても学歴や年齢、文系か理系かという違いや専門分野、あるいは性別によって現状はまるっきり違っていて、クリアな見通しが立てられないからだ。ケースバイケースになりがちだからだ。ついでに言えば、「いま、ここにいる博士」について論じるか、これからの大学院のありようについて論じるかでも書くべきことは変わってくる。

確かに、問題はここにある。あること自体は(すくなくとも大学関係者にとっては)誰の目にも明らかなことなのだが、この問題とは具体的に何なのかっていうのを語るのは、実はかなり困難な事だ。でも、だからこそ、その問題点をうまく整理して提示してくれることを期待していたんだけど。

ところでわたしの知人の一人はこの問題について、ことあるごとに博士たちを「ずいぶんと甘い人生ですね」などと揶揄していて、わたしはそれを見るたびにわりとムッとしていたのだが、本書を読んでいると確かに甘い人達というのはいるのだと少し納得してしまった。

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博士号を取っても、何もいいことなどありません。むしろ、そのプライドのために苦しみに振り回されることのほうが多いのです。それならば、いっそ返上して、一市民として生きるのもいいかなと思ったのです。

などと主張する「堤さん」の発言にも驚いたが、これに「その手があったか!」と感心する著者はいったいどうなってるのか。すくなくとも、ここ最近の博士課程の学生で、将来は大学に職を求めることしか眼中にない、なんてやついるのか。それは能天気というんじゃないか。博士号を取っても大学のポストなんざそうそうないぐらいのことは博士課程にしばらくいればだんだんわかってくることだ。本書には、こういう無用なプライドに振り回される人たちがいっぱい出てくるのだが、そんなのは個人の問題じゃないか。

むしろ問題となっているのは、そう決意したとしても会社に就職するというキャリアパスがほとんど閉ざされていることだろう。企業からすれば職歴もない30近い人材を取るかというと、少なくとも日本はそういう構造になっていないことが多い。だから、見切りをつけたところで、けっきょくコンビニのバイトぐらいしか道がなかったりするし、その道と秤にかけたら一縷の望みに賭けたくなるものかもしれない。

そういった細かい議論をするわけでもなく、どちらかといえば個人同士のプライドのようなどうでもいいところに稿を多く割いている。確かに、長い年月をかけてまで取得した博士号がべつに必要とされないってのはショックなんだよ。でもショックであることが問題なのか?

まとめると、本書は問題のごく一面だけを切り取ってセンセーショナルな表現で書き立てているだけに思える。それは事実なのだが、だが本書を読んでもいまどのような問題があるか、という見取り図は得られない。「自分は将来は博士課程を出て大学教授を目指すんだ」と夢見ている人に冷や水を浴びせるという点では良書だが、それ以外には効能はあまりないように思う。

ついでに、この本について、肯定的に捉えているapj さんの感想と、否定的に捉えている三中さんの感想をリンクしておく。

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