火とは、燃焼とは(あと最高温度の話)

This entry was posted by on Saturday, 20 October, 2007

http://arton.no-ip.info/diary/20071019.html#p01 燃焼現象という意味では上限がありそうな。なんといっても温度が上がりつづけるとプラズマ化するわけですから、それはもう「火」が燃えているというのとは違う状態ではないかという気がするわけです。

しかしなんだな、その論法では太陽はべつに「燃えて」いるわけではないということになるなあ。そこに何か言葉の問題が潜んでいそうだ。燃焼という現象で想起されることがらとは何か、というような。

簡単に言うと、燃焼というのは燃料が必要になるというか、時間が経過によって何らかの資源が消費され(変換され)、最終的には停止するというプロセスだということだな。プラズマは燃えない。太陽は燃える。しかしまあ、いずれにせよ火ではない。火というのが酸素と結合する燃焼によって生じるもの、という定義であればだけど。

まあ本題とはさっぱり関係がないもんで、ここで書いてるわけですが……。

さて、温度がどこまで上昇するかという話については、そういえばむかしいろもの物理学者さんが書いていたなあ、と思い出して見てみたらもろに書いてありましたね。

最高温度はあるか?

# あわせて読みたい温度とは何ぞや?

というわけで(超弦理論によれば)結論は1.4169206×10^32ケルビンなのだそうです。

Comments are closed.

ドラマの働きマン

This entry was posted by on Saturday, 20 October, 2007

そういえばいちおう原作も好きだし見ておこうってことでこないだの第2話を録画していたのを思い出したので見てみましたよ。

で、ダメでした。なんでああなんだろうなあ。

もともと『働きマン』的な労働観とかはわたしのそれとはかけ離れていて、したがってストーリーとしては肌に合わないものだというのはある。けれど、まんがとしては面白いんですよ。

でもドラマはだめだな。凄く気持ち悪い。もととなった話から、粗筋としては大した変更もないのにここまで徹底的にダメかというくらい合わんかった。褒めるべき箇所がほとんどまったくない。

何故なんだろうな。たとえば、原作だとワク外の、いわゆる「少女まんが」におけるポエムみたいなやつに相当するもの。このまんがはあれがけっこうあるんだけど、あれはこう、まんがとしてああいう風に配されると格好がつくけど、実際にしゃべると寒いなーという感じはありますよね。それがひとつの理由ではある。

あと、原作だと唐突にインタビューみたいなカットがまじるけど、ドラマでも唐突に登場人物が画面に向かってインタビューに応じるような部分があって、そこがなんかイヤ。もっとほかの見せ方があるような気がする(アニメ版はその辺はふつうのインタビューのようにいきなり場面を変えてた。あの方がマシだと思う)。ふたつめ。

新人田中がだいぶ違う。ダメなやつっぽくない。あれな、配役的にはかなりメインキャラっぽい扱いなのね。おかげでいろいろ違和感が。みっつめ。

今回でも、原作でわりと好きだった台詞がなぜかイヤな使われ方をしていたのも悲しかった(「バカ正直に怒っても面倒くさいだけ」ってあれな)。よっつめ。

ただけっきょく、一番大きいのは、今回は「由美ちゃん」のエピソードだったのだが、彼女の「一見、単に可愛がってもらうだけの女のコ」「でも本当は考えてきちんと仕事をしている人」というギャップが明らかになる過程と見せ方がだいぶ変わってて。誰よりも遅くまで仕事するとかさあ、そういう話じゃないと思うんだがな。

ああただ今回だと、堂島はかなり良かった。非常に原作ソックリにイヤなやつになっていた。あれはすばらしい。良かったのは、その辺の一部配役だけでした。

 

そんなかんじで見てたら鬱屈してきたので、ついまんがを読み返してしまった。やっぱまんが版はいいな。癒やされる。

うん、そう、前も書いたかもしれないけど、このまんがって基本的には癒しだと思うのだ。

うまく言えないけど。なんというか、まじめにちゃんと自分の仕事をするやつが正しくて、そしてそういうやつがけっきょく上手く行くという世界になっている。デキるやつはいざというときにヤルし、その姿がカッコヨくなってるわけでしょ。

つまり「つらくても厳しくても、ちゃんとやるやつがエラくて正しくて報われる」という世界観なわけで、でもそれって現実としてどうこうというより、そういう世界観に触れることで読者が癒やされるという類のものだと思うんだよね。

んーたとえば、これはどこかで誰かが書いていたけど、2巻のエピソード、40万部を突破した作家の記念パーティで、その本を売るために尽力した書店営業に作家がわざわざ礼を言うというシーンがあるわけですが、こんなことふつうありえないでしょう。でも、このシーンにはいかにもこのまんがらしいカタルシスがある。読めば、ありえなかろうがこのシーンにはついぐっときてしまう。

まじめにちゃんと自分の仕事をできるやつが正しくてカッコヨイという世界である、ってとこはドラマ版もいっしょだと思うんですけどね。それが癒しとしての機能を発揮するまでではないって感じですか。

Comments are closed.