「mixiの発展は人類にとって損失」なのだろうか
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>http://d.hatena.ne.jp/tetsunon/20060312/p1
> かつて『詭弁論理学』では「こういう場合での「本質的な」という言葉は、「おれがいいたい」と同じ意味ではないかと私は疑っている」という素晴しい指摘があったのだが、モヒカン族の台頭と前後してよく見られるような「全体の効率のさまたげ」とか「人類にとっての損失」とかいう主張というのはようするに「うれしい人もいるかもしれないけどおれにとってうれしくない」という意味あいで使われることが多いんじゃないかという気がしないでもない今日このごろだ。
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>で。
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>この記事もそうだけど、「ありとあらゆる情報は公開し誰からも見えるようにし検索できるようにすることが人類にとっての幸福だ」という隠れた前提をよく目にする。しかし僕はその前提の方を支持しない。確かに mixi にはいろんな専門家がいる。日記も書いている。時に有益で優れた考えもあったりする。なかにはmixi全体に公開している人もいるけれど、そうでない人も事実である。しかしながら、だからといって「人類にとって損失」というのは言い過ぎだ。
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>たとえば僕は、ここしばらく、自炊で作った食物の写真を撮影して簡単なコメントをつけたものを mixi 日記に書いている。これが公開されることが人類のためだというのだろうか? そりゃまあ、たとえば料理のレシピを公開しているコミュニティサイト(いっぱいあるだろう)みたいなところに「これを作ってみたら確かに美味しかった/自分はこういう工夫をしたがそれも良かった/こうしてみたら駄目だった」という書き込みをした方が有益であるが、残念ながらその域に達しているようなものではなかったりする。マイミクシィであっても読みたい人がどれだけいるのかわからないくらいパーソナルな情報だ。まあここの読者の方のなかには、何を作り何を食ったかを知りたくて地団駄を踏む人もいるのかもしれないが、正直いって知ったことではない。
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>話が逸れたが、言いたかったのは、世の中の「ブログ」とかには本当にゴミみたいな記事がたくさんあるということだ。そしてその情報がゴミなのは書き手の問題でも内容の質の問題でもなく(でもある場合もあるが)、むしろ内容があまりにパーソナルすぎて公開しても意味のない情報だからということが多い。ゴミなのは当事者に近くないからで、親しい人ならべつにゴミな情報ではないというわけ。そして、そういう記事は本当に、本当に物凄くたくさんあるのだ。そうした情報はむしろ mixi に隔離した方がウェブ全体の S/N 比は向上し人類にとっても有益だろう。
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>もちろん、世の中にはいろんな例外がある。その最たるものは「何が世間にとって有益な情報かということは事前にはわからない」ということで、「みんなにとって有益な情報でなければブログに書くべきでない」となってしまうといかにも頭のカタいトーヘンボクの言説となってしまう。確かに事前には何が有益で何が有益でないかはわからない。少なくとも僕は知らない(知っていたらここの日記ももっと有益かつ素晴しいものになっていたはずである)。のであるが、そうはいってもやっぱり「いくらなんでもこれはねーだろ」というものはやっぱりあるのだ。
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>mixi内に「折角だからウェブ全体に公開すればいいのに」というものがまったくないとは言わない。たぶんたくさんあるだろう。でもそれは、会員制のソーシャルネットワークというシステムの問題ではなくて、個々の利用者がどう mixi というシステムと向きあい、どう使いわけていくか、という問題なのではないのではないだろうか。
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>余談だが、 Ruby コミュニティの「初心者質問」トピックの情報が散逸するのはそれこそ勿体ないので、どっかでまとめて「初心者のよくある質問」として公開するよう段取りをつけるといいんじゃないかなあ、と、ときどき回答案を提出しつつ思っている。
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