菅原健介『羞恥心はどこへ消えた?』

This entry was posted by on Saturday, 28 January, 2006
>そういえばつい昨日、『羞恥心はどこへ消えた?』を読了したのだが、あれも似たような結論になっていた。日本人は「ミウチ」「セケン」「タニン」という三層の構造で世の中を把握する。このうち、ミウチは本当に親しい間柄なので、何かをしても恥にならない。タニンは無関係なのでちょっと恥ずかしいことをしても気にしない(旅の恥は掻き捨て論理)。羞恥心が問題となるのは「セケン」だけだ、という。この本で問題となっているのは、「地べたに坐りこむ若者は恥ずかしくないのだろうか?」という疑問だ。しかしながら調査の結果、通行人はもはやタニンなので恥を感じない。一方で周りの友達みんな(=セケン)が地べたに座っているのに自分が坐らないことの方が恥ずかしいと著者はいう。かつては地縁によって結ばれたセケンというものが今は失われていて、把握されているセケンなるものがたいへん狭い、というのは内田樹の指摘する「みんな」に呼応しているように思える。 > >という結論もなかなか面白いが(「みんな」の話はオレが勝手に言ってるだけですが)、この辺の考察は基本的には序論と最後に出てくるだけ。実はこの本で主に展開されるのは「けっきょくその羞恥心というやつはどういうものなんだ?」という話であり、むしろそっちを丁寧に解説している。てっとりばやく結論だけ知りたいお手軽な層には不服かもしれないが、この辺も含めて個人的には面白い本だった。 >+1 > >

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