人格がマージされること
>で、野尻ボードを眺めながらふと思ったのだけど、人格のマージって、同一個人の分岐しかだめな理由ってないよね。
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>仮にAIとかコンピュータ上人格コピーが可能になったとして、さらに複数に「分岐」した多数のコピーがあるとする。それらが最終的にマージして1つの個体となり、記憶を共有できたりする、というのが野尻さんの話。でまあ、考えてみればこれはいろんなSFでよくある設定ではある。
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>で、この考え方を少し進めると、なぜ大元の同じところから分岐したものだけが統合可能でなければならないか、という疑問にすぐ辿りつく。べつにぜんぜん別個の個体でも、融合して1つの個体となっていいんじゃないかな(技術的な細部はさておくと)。
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>バージョン管理的な考え方から「人間をバージョン管理する」ことを考えると、分岐はまさにブランチであり、マージはブランチ間のマージに対応する。一方で最近のバージョン管理は分散していて、そうすると分岐をつくるのもコピーをつくるのも同じことになる。したがってどんなものとでも統合可能になっている。
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>というのは言葉遊びだけど、まあそういう結論が得られる。
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>AIや情報人格などが一般的な世界においては、してみると、人格というのは固有で連続的なものではなく、交換可能、組合せ可能であるのかもしれない。「ある人」というのはまさに「どういう体験を保有しているか」ということによって決定されるのであり、その積み重ね方が微妙に異なったり、一部が他の人と共有されるような「自分」がいっぱいいるのかもしれない。
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>ところで「他の人」って誰のことだろう?
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>さて、バージョン管理というアナロジーはあんまり筋が良いとは思わないが、ひとつ重要な点を思い出させてくれる。それは「コンフリクト」の問題だ。
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>コンフリクトというのはバージョン管理の世界では、互いに矛盾するような情報のことだ。そういうものが簡単に交換・組合せ可能であれば、コンフリクトはつねに起こりうる。人間の記憶の場合には矛盾したものがあっても案外と「なんとなく」融合してしまいそうな気もするけど、もっと根本的な問題もあるんじゃないかな。たとえばある物が好きであるという人と、その物が嫌いであるという人が融合したらどうなるか。「好きだけど嫌い」などというしょーもないことにはならないような気がする(それはぜんぜん話が別)。かといって中間値になってふつう、というのもおかしい。どちらかが優先されつつ、うまいことマージしないといけないような気がする。
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>僕らが使っているバージョン管理では、そういう問題が起こったときは「人間が解決する」という素敵な解法が取られる。けれども人格のマージではそうはいかない。第三者が監査するってのもおかしな話だし、けっきょくは当事者同士が適宜、相談しないといけなかったりするのかも。あるいは「強いもの」が「弱いもの」を食って咀嚼して自分のものとするようなイメージもありかもしれない(SF的にはその方が映えそうだが)。
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>それはそれとして、「うまいことマージ」ってようするに、ありもしない記憶が合成されるというつまり記憶の捏造であるのが問題な気がするが、まあ今の人間だって記憶くらい捏造するんだし大した問題ではないか。
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