私たちのあいだにいるゴリラ

This entry was posted by on Monday, 14 March, 2011

まだご存じない人は、以下の動画を見てほしい。認知心理学的な実験で、英語を読めない人のために書いておくと、2つのチームのうち白い服のチームが何回パスをしたのかを数える、というのが課題の内容。

動画自体は30秒ほどで終わります。ちゃんと見て、きっちり数えた?

正解は15回。正解できましたか?

だけど、実はこの動画のキモはそこにはない。この動画のキモは、人間は集中するとどれだけそれ以外のことに集中できなくなるのか、を実験したもので、実は動画中にゴリラの着ぐるみがふらりとあらわれ、去っていく。およそ半数の人は、気づかないのだという。わたしも最初は気づかなかった。言われて愕然としました。こんなものに気づけないというのはちょっと考えづらいのですが、真理。

この実験を考案し、イグノーベル賞を受賞したChristpher ChabrisとDaniel Simonsの二人が書いた本が “The Invisible Gorilla”、その邦訳が『錯覚の科学』というタイトルで刊行されている。

いやー面白い本だった。

全体は6つの章にわかれ、それぞれに主要なトピックが設置されている。各章には、そのトピックに関連する認知心理系の実験の説明と、それにまつわるような現実の事象が様々なエピソードとして描かれている。1章がこの見えないゴリラ、人間は集中するとどんなあからさまなものでも認識しなくなってしまう。2章は記憶の捏造。鮮やかに覚えている記憶であっても、人間は忘れてしまう。ヒラリー・クリントンが語った戦場体験、9・11の時に誰とどこにいたかの記憶がいかにアテにならないかなど。3章は自信にまつわる問題で、1章や2章であきらかになったように人間の認知にかかわる機能はかなりアテにならないのだけど、人間はわりと簡単に自信を持ってしまう。能力が低い人間ほど、自分はもっと高い能力があると過信しがちになる。また、自信がありそうな人となさそうな人がいると、信憑性とは関係なく自信のありそうな方を信用してしまいがちになる。4章は自信の問題の続きのようなもので、自分の知識量についても簡単に誤解してしまうという問題。身近なものでも案外と知らない。だが知らないという事実に人間はなかなか気づかない。5章は俗説やデマにまつわる話。人間は簡単に因果関係を見出してしまう。6章も似ているが、人間は可能性があるということにすぐ騙されてしまうという話。潜在能力を引き出す系の話にいかに弱いか。

この本は、個別のエピソードがいちいち興味深い。レイプ犯を見誤って告発してしまった女性、9・11にどこにいたかの話、リーマンショックを導いた投資信託がいかにわけがわからなくなっていたか、9・11はブッシュ政権の陰謀説、サブリミナル効果の嘘、脳トレの誤り……。それぞれなるほどと思わせるものがある。認知実験にも面白さがある。編集ミスでおかしなことが起きてしまった映画。だけど大抵の人はそれに気づかないで見過ごしてしまうという。ところが、これが言われたら誰でも気づくような単純な間違いだし、これに気づかないなんてありえない。上の動画も実際そうで、そうと知っていれば気づかずにいるほうが難しい。

ただ、個別の事例には、実はあまり意味がない。5章で著者自身が述べているように、個別のエピソードを人間は記憶する。統計データを分析して、本当に何がどうなったのかをあきらかにするほうが現実をさぐるのには向いているが、人間は個別のエピソードのほうを好む。それだけの話。だから面白くなるような工夫がこの本にはあるけれど、本当に重要なのはそこではないわけだ。

本書を通じてのテーマみたいなものがひとつあるとすれば、どんなにアテにならなくても人間は自分の認識を正しいと思ってしまうということだ。人間の心理として、こういう実験を受けるとなるほどアテにならないものだということは理解できる。でもやっぱり自分は例外だという認識からは離れがたいものがある。本書にも、授業を聞いて「こんなのを見落とすなんてありえない」といっていた学生たちに声をかけて別な実験に参加してもらい、みごとに騙されたというくだりがあって微苦笑した。そういうわけで、上の動画で一発目にもかかわらずゴリラを見いだせた半数のみなさんは、残念でした。そのみなさんは、注意力が優れた人たちではなく、不幸にも自分の認識が正しくないかもしれないと思うきっかけを失っただけであり、別なところではきっと失敗をしてしまう。

この本のメッセージは、私たちのあいだにはいつも見えないゴリラがいるようなものだ、ということだ(『11人いる!』みたいですね(笑))。「あなたの直感にご用心。とくに自分の頭の働きに関する直感には、気をつけること」「私たちのあいだにはたしかにゴリラはいる」。だからゆめゆめ自分は例外だと思わないこと。自分の認知能力に限界があることがわかれば、無用な自信でおかしな失敗をしなくても済むかもしれない。そういうことを、本書は教えてくれる。

そういうわけで良書だと思うが、翻訳書としての作りにはいささか疑問がある。

もともと “Invisible Gorilla” (見えないゴリラ)というタイトルの本をこんなどうしようもない邦題で売ろうというセンスには理解しがたいものがある。この「ゴリラ」は1章でちょっと紹介されるだけの存在ではないのだ。イグノーベル賞受賞という理由からも著者らがシンボルとして利用しようとしているということもあるけれども、この本を通じてのテーマがこの「ゴリラ」に集約されているんである。このゴリラは、わたしたちの注意力に限界があることを鮮やかに映しだす。「鮮やかに」というのがポイントで、この実験を受けて気づけなかった被験者はだいたい愕然とするのだという(わたしもした)。知っていれば絶対に見逃すことはないほど明白なのに見逃すことがありうる存在。人間が自分の認知力に大して抱く過信を暴きだす存在。だからこそこのタイトルだと思うんだけど……。

帯に写真つきで出てくる成毛眞という人のことは初めて知ったが、この帯の扱いはまったく意味が分からない。解説もたいした分量ではなく、おまけにピントを外している。確かにこの本には脳トレの話は出てくるけれども、あれがデタラメだということは基本的には大した問題ではない。てんでデタラメなのにぼくらが信じてしまうのはなぜなのか、というのがキモだろう。

電子化されてアップロードされることを懸念したかのような但し書きが冒頭にあるのも個人的には印象がよくない。

ま、英語で読める人は英語で読んだほうがいいかもしれません。Kindle版もあるみたいだし。

One Response to “私たちのあいだにいるゴリラ”

  1. Takaakira

    エントリ名がいわゆるネタバレなのでわw