Archive for July, 2009

青木幸子『ZOO KEEPER』

Posted by 向井 淳 on Sunday, 26 July, 2009

こないだ出た8巻で完結!

新人の動物園飼育員、楠野香也が動物園や動物飼育に関わる様々な問題に関わり、取り組んでいく姿を描いたシリーズですが、これがめっぽう面白い。読むと、確実に「動物園」に対する視線が変わります。飼育する動物の特性や様々な問題に直面しつつ、主人公たちが少しずつ解決していく、という良くあるタイプのお話といえばそうなんですが、飼育する動物の問題に加えて動物園の社会における役割、登場人物たちの個人的な事情、なんかがうまくからみ合っているのがいいです。特に動物園の役割、といった面が若干強調されているので、ちょっとお固いところもあるんですが、エンターテイメント作品としてきちんと成立しています。おすすめです。

しかしこの作品を語る上では、やはり「クマ園長」熊田大地を外してはおけません。楠野の通う動物園の園長として、楠野の能力を見抜き、「無理難題」をふっかける役である一方、この作品における「動物園とは何か」の中核にいる人物です。以下、簡単な「熊野大地語録」。

人、人、人、人……大型の哺乳類がこの密度でクラスのは無理ですよ。人間は定期的に動物園へ行って自分も動物であることを思い出すべきです。 (第1話)

それは動物園の存在理由そのものにつながる。ただ「見る」ために動物を飼う意味。人という「動物」はなぜ他の「動物を」見たがるのか? 動物はそれ自体が生息地の記憶装置。生態に刻まれた土地と生命の歴史。動物を「見る」欲求が知りたい欲望の表れならば動物園は世界中の「未知」の記録装置。命以上に惹きつけられる未知などない。動物園は命の「未知」と「可能性」を伝える場所であるべきだ!!(第2話)

「動物園の動物は見てもらうことに意味がある」あのテレビを見て押しかけた人たちの一人でも多くに、動く、カワイイ――からでもいいその先にたどり着いてもらう。非難ややっかみ便乗記事も一件も逃しませんよ。人目に立つ所で正面きって論戦張ります。(第5話)

「ああいう子が何かに興味を持つと徹底しているし、案外10年後ぐらいに……ゴリゴリの自然保護論者になって「動物園をなくせ」とか言ってたりして?」「それってダメじゃないですかっ」「ダメじゃないでしょ。大成功――動物園は、そういうことを考えるきっかけをつくる所です」(第12話)

動物園は基本的に金食い虫。なくて生活に困る施設ではない。生き物を囲い込み見せ物にする。それらの疑問に対する答えはひとつではないしかし――それらの疑念を超える信念がなく! 信念を通す行動がないならっ!! そんな園など潰れてしまえっ!!(第17話)

「園長……宿題の『なぜ動物園は象を飼うのか』」「提出?」「象は、いるだけで人を考えさせる『何か』があるから……?」「『何か』って何? ……それじゃ赤点ギリギリですね。象と人の重なる部分、環境に対するすさまじい「破壊力」……「再生力」を「破壊力」が上回るときどうなるかを象は私たちに突きつけ、そしてそこにいるだけで鮮やかに主張する。世界は人間だけのものではない」(第28話)

動物園はあるといいなではなく必要不可欠な存在にならねばいけない(第69話)

わたしが目指し示したいのは生きて成長していく動物園。確か北未の秦野さんにも言いましたね。考えろ! 主張しろ!! 動け!!! 動物園の体細胞である園の人間がその意志を持つならば成長は止まらない(最終話)

……ううーん、こうしてざっと見返して改めて気づいたんですが、いわゆる「語録」的な発言って序盤に集中していてだんだんなくなっていくのですね。もちろんクマ園長はずっと登場していて、ずっと重要な役どころなんだけれども、そういう発言は減っていっている。それはもちろん、このまんがが路線を変更したというわけではなくて、そういう発言を熊田に頼らなくてもよくなったからではないかと思います。当初は新人飼育員の楠野とそれを飼い慣らすクマ園長、という構図の作品だったけれど、シリーズが続いていくうちに一癖も二癖もあるような飼育員が登場してきて、ある種の群像劇へとだんだんシフトしていったということではないかな。でまあこの登場人物たちがまたどいつもこいつも味のある連中で、だから面白いんですけれどね。

最終巻となる8巻はちょっと番外編っぽい水族館のペンギンの話と、チンパンジー。ペンギンも良かったけど、チンプのエピソードが良かったですね。楠野って本当はチンプの担当だったはずなのに、いろんな動物と関わっているわりにチンプのエピソードは第1話以来でずーっとなくて、なんでなのかなぁと思っていました。たぶん最終回用に取っておいたんでしょう。第1話ではチンプの動物的な特性は物語とは関わっておらず、「種の保存」というお題目に対してそういう背景を背負わないがゆえに「害獣」となった個体の悲劇という、動物園の役割自体をテーマに据えた物語となっていたけれど、今回は「戦うことが本能である動物」というチンパンジーの特性をメインに据えた上で、それをうまく物語に組み込んでいて面白かった。

こういう作品の難しいところは、ともすると取材偏重になりがちというあたりではないかと思います。実際、『ZOO KEEPER』にもそういうところはあるわけですけれども。もちろん、作者が自分で考えたストーリーでは独りよがりになってしまうから一概に取材がだめなわけではないけれども、取材だけの話になってしまうのであれば、無理にストーリーに仕立てないで取材として書いてくれた方がいいわけです。その場合、敢えてフィクションにする意味ってなに?という。でもこの作品は意味がある。取材と物語のバランスが上手いので、取材した中身を拝借(たぶん)しつつも、それに対処する飼育員たちの物語として成立させていると思いますね。つまるところ、クマ園長の言うところの「個体を語る」ということです。それがこの作品の魅力でしょう。

クイーンズの墓地は展示の一つ。刻まれているのは個体の名ではなく、その年に絶滅した「種」の名前です。毎年一つずつ増えていく……主張の鮮やかなすぐれた展示ですが、私は日本人にはなじまない気がしました。なるほどと頭で思ってもどうも理に落ちた印象がともなう。感情と理性のバランス――。死んでも何かを伝えられる……それを確実にするために、あなたは飼育員に生前の「個体」を語らせようと考えた。それは正しい。”関わり”や”思い入れ”のないものの死など、すぐに忘れ去る日常でしかないのだから。生前の個体を飼育員に語らせて”思い入れ”を作り、遺体にふれてその種への”関わり”を深める。その方が深く刻まれる。(第62話)


テッド・チャンに会ってきた

Posted by 向井 淳 on Sunday, 26 July, 2009

というわけで、韓国の映画祭に行っていたテッド・チャンがこの週末、帰国のついでで東京にいるということで、いくつかの「囲む会」があるようで、今回はその一つ、星雲賞ミニ授賞式+ファンを囲んでのお茶会。SF大会で募集していたのに真っ先に申込んだのでお邪魔してきました。

チャンは穏やかな人で、はっきりとわかりやすい英語でしゃべってくれました。何の話をしたかなぁ。一つは「日本でチャンがメジャーなのは何故なのか?」という問い。実際には韓国でも人気だそうですが、ともあれアメリカではそれほどの人気作家でもないのに何故?という疑問。一つの仮説として、あまりにもアメリカ的な作品は敬遠され、そういう色の薄いチャンやイーガンの作品が好まれる傾向にあるんじゃないか? 私個人はあまりそういう風には思わないけれど、チャン本人はその仮説について聞きたがっている様子でした。誰かが言っていて面白かったのは、アメリカの小説を読むのはエイリアンとのファーストコンタクトのようなものだと。それを受けてチャンは「なるほど、ファーストコンタクトといえば数学が重要だし、イーガンが人気になのはだからかな」なんてことを言ってましたけれども。

そんなこんなで楽しい集まりでした。


jmuk.orgのブラウザシェア

Posted by 向井 淳 on Tuesday, 21 July, 2009

ふとこのブログにアクセスしているブラウザのシェアが知りたくなって調べてみました。

一週間ぶんのログからIPアドレスとUserAgentを取り出して、UserAgentごとにIPアドレスで絞りました。なので途中でアップグレードしたりしてると両方にカウントされてるかもしれないけどまぁ細かいことは気にしないとして、次のような感じ。シェアからは検索エンジンのボットはブラックリストに入れて勘定に入れていませんが、それ以外の、たとえばフィードリーダーなどはカウントされています。

MSIE 6.0: 31.0457516339869%
Firefox/3.0: 12.0098039215686%
MSIE 7.0: 11.7647058823529%
Firefox/3.5: 11.0294117647059%
MSIE 8.0: 3.83986928104575%
Safari/4: 3.51307189542484%
Chrome/2: 3.10457516339869%
Opera/9: 2.28758169934641%

シェア2%以上だとこんな感じ。IE勢は合計すると45%ぐらいですが、IE6って30%ぐらいしかないんですね。案外少ない。一方Firefox3が合計すると23%ぐらいで馬鹿にできない数字。IE8、Safari/4、Chromeといった新興のブラウザはせいぜい3-4%といったところ。でもChromeはすでにOperaのシェアを抜いてる。

ちなみに、subscriberの数を律儀にUserAgentで報告しているタイプのフィードリーダーのクローラの場合は、その数を発見して足してみたところ1367 subscribersらしい。そんなに読んでるのかと一瞬驚くけど、きっと重複があったりでそんなに読んでる人は多くないだろう。

で、上はブログアクセスに限定したけれど、これをサイト全体に広げると次のようになります。

MSIE 6.0: 22.9441163107678%
MSIE 7.0: 12.8123580190822%
Firefox/3.0: 12.6306224443435%
Firefox/3.5: 9.85915492957746%
Chrome/2: 4.72512494320763%
MSIE 8.0: 4.63425715583826%
Safari/4: 3.04407087687415%
Opera/9: 2.49886415265788%

IE6トップだけど、Firefox/3を足すと抜いてしまう。Chromeのシェアもずっと増えるなぁ。ちなみにこの後に1.5%ぐらいだけどSleipnirも出てきた。個人的には結構意外な結果になりました。このブログよりも、それ以外にアクセスする人の方が「そういう」人が多いんですね。うーむむ……。


Twitterの問題

Posted by 向井 淳 on Monday, 20 July, 2009

Twitterを憂ふ

これ見て連想するものはないですか?

私はあったよ。「あぁmixiが流行ったときもこんな文章を読んだな」などと思いましたね。

それで、mixiに比べれば(大部分は)外部に検索サービスを持てるんでtwitterの方がいいんでないかなとも思うんですけれど。ついでに、わたしのマイミクでも軸足がtwitterに移りつつある人もいたりして、栄枯盛衰よのぅなどと思います。それはここでは関係ないか。

twitterの問題として、確かにいくつかある。あるけれど、私はそんなに絶望していなくて、っていうか基本的に、twitterで毛づくろいコミュニケーションをしている人達は、結局ブログだろうがmixiだろうが2chだろうが同じようなコミュニケーションをしていた人達が大部分なのであって、人間やってることはそう変わらない気がするんだよね。

普段どうでもいいことも含めてわさわさとブログに書いてて、そんななかでたまに面白いことを書いている人がいたとする。そういう人の書いている文章のうち、どうでもいいことの方はtwitterに書いてしまうと、案外分量が残らなくなってしまうっていう面は結構あるんではないかなぁと。で、どうでもいいことは賑やかしとして必要だったのかもしれないけれども、でもまぁ賑やかしは賑やかしでしかないわけで。もちろん指摘されているように、twitterにすっかりはまって、それまで鋭い文章を発表していた人がブログをやめちゃった、みたいな問題はあるけれども、実際そこまで深刻なことって多くないように思うんですよね。たいていの人はtwitterとブログは別なものだと思っているし、長期的には適宜使い分けるスタイルで安定すると思う。

あと、そういう私憤を、webを分断させる的な大きい方向に持って行くのは止した方がいいと思う。Googleや既存のサービスがtwitterを上手く拾えないのだとすれば、うまく拾えるものを誰かが作るというのが正しいような気がする(簡単なことじゃないと思いますが)。webの有り様というのは自由であって、もし仮にたとえばこれまでのwebに対する考え方がある時点以降のwebの有り様と適合しなくなってしまうことがあるとしても、それはwebの問題ではないのではないか、なんて個人的には思いますよ。

あとなんか、twitterと検索というのは興味深い問題だと思っているけれども、けっきょくプログラムが凄く頑張るっていうよりは、人手である程度の流れを編集してブログでまとめておくようなスタイルが流行っていく方向で落ち着くような気もするんですよね。今でも結構そういうのあるし、むしろ面白い流れを逐次観察して専門的に紹介していく「まとめブログ」みたいなものが出てくる方向に行きそうな。っていうか、まだそういうのはないのかな?


つばな『第七女子会彷徨』

Posted by 向井 淳 on Monday, 20 July, 2009

コミックリュウの新人まんがですが、面白かった。スコシフシギなのが好きな人にお薦めの一冊。

主人公となる女子高生ふたりが、SFっぽいいろんな変なことに巻き込まれたりするっていう形式の連作短編集で、変なことというのは突然流行する不思議なデバイスであったり、タイムトラベラーだったり何だか解らないものだったりするわけですが、全体的に統一感というのはないものの、スコシフシギなテイストは一定していてこれがなかなかくせになる。

また、主人公の二人の関係の描き方とか、少しトボけた台詞回しとかは、帯に推薦文を書いた石黒正数とだいぶ近いものがあります。アシスタントか何かなのかな、と思ったらどうもそうらしいですね(『それ町』の4巻でアシスタントとして名前が入っているとか)。比較をするとさすがに石黒正数の方が上手いのですが、いずれにせよこの雰囲気はかなり好き。

中でも面白かったのは、世界が何だか解らないものに蹂躙されていく第2話「正体不明」(これがまったく本当に「何だか解らない」としか言いようがなくて素晴らしい)、プライバシーの観点から顔を隠すデバイスが流行するという第3話「顔隠し君」、友達ペアが学校に割り当てられてその関係性が成績というかたちで評価される第8話「友達選定」、グレッグ・イーガンの「しあわせの理由」を彷彿とさせる書き下ろしの第12話「笑い袋・新世紀」といったところでしょうか。

半分ぐらいは2008年の号に掲載されていますが、2009年の作品は年刊SF傑作選の圏内だという気がしますね。たとえば「友達選定」なんかでどうでしょうか。


T-CONの想い出

Posted by 向井 淳 on Saturday, 18 July, 2009

書きそびれたが、今年のSF大会の想い出のひとつに、「あの」小笠原功雄氏と話す機会を得たということがあった。

あの、といっても分からない人が多いと思うので説明すると、小笠原氏はSFマガジンの読者投稿欄に熱心に前号の感想を寄せられている方である。読者投稿欄に小笠原功雄と毛利信明だけが便りを寄せている、なんていう号は、ここ10年のSFマガジンではかなりあったように記憶している。最近はそれ以外の投稿も増えてきている印象があるけれど、ともかく超がつくほどの常連。

前回のT-CON、つまり2003年のT-CON03の時に開催された「SFセンター試験」でもかなりの上位を勝ち取られたと記憶している。あの発表のおかげで、小笠原功雄という人はSFマガジン編集部がでっち上げた架空の投稿者ではなく、実在の人間だということが確認された、なんていうジョークも言ったものだったが、しかし、当の小笠原さんをお見かけすることはなかった(というか顔も知らないのだから見かけていても分からなかったわけだが、ともかくそういう名札を下げた御仁は見かけなかったわけだ)。

で、それから6年後の今年のSF大会、ついにそういう名札を下げた御仁を発見したという次第。別に何を話したわけでもなくちょっと立ち話をしただけだけど、「あの」小笠原功雄と話した!というある種の感激(というか隠しキャラをゲットした感じ?)に打ち震えました。


ティアラ文庫は検索避けをしている

Posted by 向井 淳 on Friday, 17 July, 2009

ティアラ文庫公式サイトがGoogle八分? という記事がStarChartLogに上がっていた。へぇーと思って検索してみると、確かにGoogleの検索結果からは出てこない。ちょっと調べてみると、BingとGoogleでは出てこないが、Yahoo、Baidu、Navarでは確かにtiarabunko.jpがトップで出てくる。確かに変。

でも、ティアラ文庫公式のソースを見るとこんなものが入ってるんですよ。

<meta name='robots' content='noindex,nofollow' />

meta name=’robots’はページ単位でロボットの動作を指示するための情報で、noindexはインデックスしない、nofollowはこのページからのリンクを(ページランクなどのアルゴリズムにおいて)リンクとして扱わない、という意味です。GoogleやBingはこのnoindexの指示に従ってインデックスから削除してるのではないかと思います。

逆に、これを無視してるYahooやBaiduやNavarは内部的にどうなっているんでしょうか。ロボットでは何もしないけどディレクトリに入っているってことかな?とか思ったけど、登録サイトとしては登録されていないから違う。検索結果はタイトルだけになってるから、noindexをページの中身を見ないとかそういう意味だと解釈しているのかな。一方、普通に検索結果として出てくるBaiduやNavarは無視を決め込んでるわけだ。

わたしも自分のブログに何かのタイミングにnoindexを突っ込んでそのまま忘れてしまい、結構長い期間まったく検索から出てこない状態だったこととかあるんで、きっとこれも妙な誤解かうっかりで紛れ込んだだけではないかなぁと思います(誤解からこういう事をしてしまうってのはけっこうありそう)。でも少なくとも字面上はどう見ても検索に出ないことを望んでいるわけで、これはYahooとかではうっかり検索できてしまっているというケースではないかと思いました。


FriendConnectを導入してみた

Posted by 向井 淳 on Thursday, 16 July, 2009

Friend Connectが日本語でも普通に使えるようになったということなので、ちょっと導入してみた。

Friend Connectは、OpenSocialみたいなソーシャルガジェットを張り付けられるお手軽ツールだ。OpenSocialのコンテナ(mixiのようにユーザベースを持ち、ガジェットをレンダできる能力を持つサイト)には特別なソフトウェアが必要だが、Friend Connectはもっと単純で、2つのhtmlファイルを配置できればあとはhtmlに貼りつけるだけで動く。だから、一般的なブログサービスではまだ利用できないようだが、静的ファイルをおけるような場所だったら使えるだろう。静的ファイルをアップロードできないようなサービスでも、サービス提供者がこの辺のファイルをうまく都合すれば導入は可能だろう。げんにbloggerはそうしてFriendConnectに対応しているっぽいようだ。

で、これが何が面白いかというと、今のところ大きいのは「コメントが残せる」という機能ぐらいであり「それ大抵のブログはできるよ」という次第なのが残念かも(とはいえGoogleアカウントと統合できるとか、友達関係みたいな便利さもあるのかな?)。もちろん、いろんなガジェットが誰でも作れるはずだからしばらくしたら面白いものが出てくるのかもしれない。とりあえずガジェットギャラリーを眺めていたら「足あとガジェット」があって、すこし考えたのだが導入は見送った。

そもそも、もともと更新も少なく、読者はもっと少なく、コメントもほとんどないこのブログで「ソーシャル化」がどれぐらい重要なのかは自分でも心もとないところではある。けど、とりあえずしばらくこのまま様子を見てみたい。なんか興味があったらユーザ登録でもして遊んでみてやってください。

あと、WordPress pluginというのがあって、WordPressのコメント機能と統合するようなものっぽいのだがちゃんと動いてないような気がする……。なぜだろう。


超弦領域

Posted by 向井 淳 on Friday, 10 July, 2009

年間SF傑作選2008年版。何はともあれこれさえ読めば2008年のSFは一通り押さえられる……かはともかく、面白い作品が揃ってます。

タイトルの『超弦領域』は昨年の『虚構機関』から続いて漢字4文字、意味不明がコンセプトか。表紙と相まって間違い探し状態。10年ぐらいすると京フェスあたりで「順番に並べる」クイズになるんではないかと予想するようなテイストであります。

で、肝心の中身についてだけど、考課表があるので、それに沿って-3〜+3のスコアを付けながら収録作を紹介していく。

ちなみに、意図的に点数の幅を広げようと思っている。個人的には+3は「年間ベストクラス」ぐらい。-3は年間ワーストぐらいのつもり。

法月綸太郎「ノックス・マシン」 +3

「ノックスの十戒」をテーマにしたバカSF。文章構造を数学的に解析する数理文学解析というアイディアも素晴らしいが、きれいにオチる結末も非常によい傑作。星雲賞候補になっていたが、以前も書いたように規約の関係上、1年待って欲しかった。そうすれば星雲賞を十分に狙えた逸材。

林巧「エイミーの敗北」-1

「だから?」としか言いようがない小品。個人の考えている内容さえ「エイミー」と呼ばれる「集合的無意識」に管理されている世界を描いていることになるのだが、この辺の設定や描写はわりとありがちなものになっていて薄っぺらい。林巧はSFMに寄せられた幻想味のある作品は割と好きなんだけどな。

樺山三英「ONE PIECE」-2

フランケンシュタインの怪物をテーマにした作品。隠喩やメタフィクショナルな構造は樺山らしいが、好きじゃない。

小林泰三「時空争奪」+3

河川争奪をネタにした時間SF。ある日、鳥獣戯画の動物たちがみたこともない異形のものどもになっていた、という冒頭からは想像もつかないヴィジョンや、結末で明かされるキリスト教ネタがたいへんよい。

津原泰水「土の枕」0

第二次大戦におけるある兵卒に関する掌編。非常に面白いので個人的な評価は高いが(なのでみなさんもこの短編だけは読んでみて欲しい)、「SFの傑作選」に入っている作品としては高い点数を付けづらい。ジーン・ウルフを引き合いにだす大森望による短評もさすがに牽強付会が過ぎるだろう。

藤野可織「胡蝶蘭」+1

胡蝶蘭にまつわるちょっと怪奇っぽい作品。津原泰水に対してああ書いた手前、「SF」かどうかということを言い出すときりはないのだが、ファンタジーというかホラー隣接領域の作品としては面白い。

岸本佐知子「分数アパート」+1

エッセイ。SFというか、広い意味で超現実的なのは腰から生えた弟の話だが、これって訳している作品の話だしなぁ、という感じ。もっとも中身のクォリティは相変わらずで面白い。

石川美南「眠り課」0

短歌。短歌の良し悪しは分からない。

最相葉月「幻の絵の先生」+2

星新一が幼少期に通っていたという絵の先生のエピソードと新聞に掲載された一枚の写真から星家の複雑な血縁状況を幻視するノンフィクション。面白く読んだ。

Boichi「全てはマグロのためだった」+1

まんが。マグロが絶滅した世界で、マグロの復活に全人生を賭けた男の空回りな活躍を描く。何をやってもマグロだけは成功しないが、研究の副作用で人類を滅亡の危機から救ったり地球外生命体とのコンタクトに成功したりしてしまうギャグなのだが、「ネズミの癌治療薬」という、なんとなく考えさせられるような気もするフレーズや、何故か感動的な結末も含めてなかなか良い。

倉田英之「アキバ忍法帖」+2

山田風太郎の忍法帖を下敷きに、現代の秋葉原で「その道」に秀でた強者たちの熾烈な戦いを描く爆笑の逸品。わざわざ12人もの強者を紹介したり、なぜか強者どもが山風忍者っぽい台詞回しでしゃべったり、あまりのくだらなさに腹を抱えて笑う。いいぞ、もっとやれ!

堀晃「笑う闇」+2

ワールドコンで現役の研究者とSF作家との交流から生まれた作品。ロボットと人間の漫才コンビの顛末を描いている。正直に書くと「現役の研究者との…」という但書を付けてしまうと「どの辺が?」という気がするのだが(堀晃はこれぐらい、そんなものがなくても書いていたろう)、作品単品としては細かいところまで目配りの行き届いた佳作と言えるだろう。

小川一水「青い星まで飛んでいけ」-1

SFマガジンのアーサー・C・クラーク特集号に掲載された作品。人類滅亡後、星々を巡りながら知的生命体を見つけては接触を繰り返す機械群を視点にした遠未来SF。妙にひきこもりテイストな主人公(=機械)の視点は「ハイフライト・マイスター」と同じ問題意識で書かれたものか。しかし、残念ながら全然面白くない。いくらなんでも2008年、小川一水の短編がこれしかなかったということはないと思うがなあ。

円城塔「ムーンシャイン」+1

「全く理解できないがなぜか面白い」という立場を円城塔は確立してしまった。これもそう。面白いといえば面白いのだが、もう少し頑張って読もうかとも思うのだが、なぜかそこまでする気になれない。で、そういう気になれないとすれば+1止まりとなるのもむべなるかなというか。そこが円城塔の不幸である、のかもしれない。

伊藤計劃「From Nothing, With Love」+2

読んだときには気付かなかったが、『ハーモニー』と同じ問題について扱っている作品だった。つまり、意識。このテーマが伊藤計劃にとってどういう意味を持っていたのか、ということを考えてもやもやしてしまう。正直にいうと同著者の短編という意味では「The indifference engine」は越えていないと思うが、優れた作品であることは間違いない。


ふと気づいたのだが、星雲賞の参考候補作とまるで被っていないリストですね。受賞作の「南極点のピアピア動画」も入ってないし。逆に私たちは「時空争奪」を候補にすら挙げていないということを恥じなければならない。


10年目のブログ

Posted by 向井 淳 on Tuesday, 7 July, 2009

いまここで見られる過去ログは5年分しかないが、実際には1999年の夏ごろ、biglobeの片隅で全然別のタイトルで全然別なテイストでわたしは密かに「web日記」を付け始めた。正直な開始日時は覚えていないが、たぶん8月の中頃ぐらいだったかと思うので、まだあと2ヶ月ちかくあるのだが、今年で何と10年目だ。タイトルも中身もテイストもつきあいもいろいろと変わりながらのこの10年、思えば遠くへ来たもんだ。

そんなことを思い出した理由のひとつはこの記事を読んだからである。

ブログを続けるためのコツね。そんなこと考えてもみなかった。コツなんてなくても続けられると思っていたし。こういうのは、一旦軌道に乗ってさえしまえばあとは惰性で続けられる。

けど、その「軌道に乗せる」部分で最近少し思うこともあるのでちょっと書いてみたい。

id:ktdiskさんの書かれていることはわかるのだけど、少し手間なような気がする。スケジュールをきちっと管理して、書きたい内容もそれなりに調べたりして、まじめかつ硬派。わたしも根は真面目なんですけど、そんな面倒くさいことしてられないでしょ、実際。この文章を真に受けると、けっきょく上手く行かずに挫折してしまう気がするなあ。

ブログを続けるのにコツというのがあるとすれば、簡単にいうと生活のリズムに組み込むということだと思っている。それはまあ「時間を作れ」というのの言い換えであるわけだけれど、ここでわたしが言いたいのは、たとえば毎日少しずつでも時間をかけるということである。わたしは基本的には原稿は、断片的に書いては直している。1日で一つのエントリーを書き上げてしまわないこともあるし、書き上げてもそのまま公開したりしないで、しばらく寝かせておく。翌日読み直すと思わぬ粗が見つかるものだし、なんだかんだで細部を直したくなる。そうやって、少しでもいいから1日にブログに関わる時間をかけていって、少しずつ生活のリズムに組み込んでいく。更新のタイミングをきちんと決めたりするのは、そうやって軌道に乗ってからでいいと思っている。

こういうスタイルのいいところは、少しずつ時間をかけることでリズムを作りやすくするということ。あと、何度も書きなおすのでそれなりの内容になることが期待されること。一方、直しまくっているとそっちに熱中してしまっていつまでも公開できなくなったり、自分でも何が面白いのかわからなくなってしまって、飽きてしまうこともある。わたしの手元には未公開のものが結構な量ある(笑)。

ともあれ、無理をしないことだと思う。商業的なメリットのあるブログはさておき、その辺の素人が趣味でやっているブログにそこまでコストはかけられないというのが嘘偽らざる感情だし、かけなくても更新できる状態に我が身を持っていくことが重要だよね。

で、そこまでして続ける意味あるのかっていうとわたしもよくわかっていない。10年目のわりに超弱小なこのブログにも、それなりに興味を持っている人間というのがいるようで(知り合いがおおいんだけど)、それがひとつかな。あと、たぶん多くの人は知らないが、わたしは本の感想を書きたくて、それをいろんな人に伝えたくて、それでブログを書いている。それが続けられた大きな理由かも。そのわりにこの日記で本の感想というのは全然注目を集めていないのだけど(苦笑)、それは、わたしのこれからの課題。

ところで、最近はどうかわからないけれど、ブログでは、っていうかウェブの世界では即時的であることが求められる印象がある。話題のネタにすぐ食いつかないと注目されないっていう実際的な事情もあるだろう。でも、そういうスタイルは長続きしないんじゃないかとわたしは最近考えている。話題のネタにとにかく食い込んでいくスタイルは注目を集めやすいけれど、競合相手も多いし、とにかく常に新鮮なネタを探したりして時間を食うので今回の目的には合致しない。それに今のご時世であれば、そういう即時的だけどさっとかける反応はtwitterのようなほかのシステムがあるから、それでいーじゃんというか。ブログはもう少し腰を据えた文章を時間をかけて書く場所とみなして、今回のエントリーもそうだけど、レスポンスは遅くていいんで、短文コメントではかききれない何かを書こうかなと。そのためには、短い断片から少しずつふくらませていくというスタイルは、そう悪くないような気がしている。