Archive for June, 2009

ファルコム音楽ベスト

Posted by 向井 淳 on Wednesday, 10 June, 2009

http://d.hatena.ne.jp/acqua_alta/20090606/falcom

2chの投票によるファルコム音楽ベストだとか。 先日ファルコムが自社作品の音楽を(ある条件のもとでではあるけど)自由に使っていいよと宣言したのに合わせたのかな?……と思ったら1は思いっきし前だった。無関係なのか。

ファルコムゲームはそんなにやっていないけど、音楽というと思い出深いのは『英雄伝説III』。とくに「小さな英雄 – ジュリオとクリスの大冒険」がベスト。全部で9つに分かれた章の境目で流れる音楽で、ちびキャラがその章のハイライトを再現しつつ流れるノーテンキな楽曲を聞くと、今でもつらくも楽しい記憶がよみがえる。

それで iTMS を探したら見つかってしまったので買ってしまった、英雄伝説IIIのサントラ。「前編」「後編」の二枚で計3000円なり。くそっ。でもこれってPC98版の音楽じゃないんだよなぁ。記憶と違うとやっぱり微妙な違和感がある。FM音源のやつがほしー。


ハヤカワ新書について雑感

Posted by 向井 淳 on Sunday, 7 June, 2009

ハヤカワノンフィクションのブログで新書の進出が発表されたのが3月のこと。

ぶっちゃけ、これを読んだときの正直な感想は「ええっ、本気すか」という感じ。だってもう新書バブルと言われ続け、というか「新書バブルはもうはじけたよね」というところ、世間的にも「あれはなんだったのか」というまとめに入っていた時期ではなかったかと思います。正気の沙汰とは思えなかった。

でも、出てきた本を見たらわりと安心した(笑)。今現在の新書を買っていく層のことは全然見ていないつくりの本だ。新書ってのは、30分ぐらいで読める薄さ、手軽さ、目次だけで内容がだいたい分かるようなつくりでさくっと読めて、好奇心をそこそこ満たしてくれるっていうものでしょう。それがウケた。

ハヤカワ新書はぜんぜん違う。まず分厚い。『ミラーニューロンの発見』が360ページぐらい。って360ページはそんな厚くないでしょ、って思うかもしれないけど、良かったら手近な普通の新書のページ数と比較してください。しかも翻訳で、文字がわりとしっかり詰まってる。あと結構高くて、たとえば『ミラーニューロンの発見』は1300円ぐらい。ようするに「それなりにしっかりとした内容のものを腰を据えて読む」ための本になってるのね。翻訳をこのまま続けるのかはわかりませんけど。

そういうわけで、文庫にするには分量があるけど、ソフトカバーで出したい、っていうタイプのこの手の本を出すための受け皿として作ったんじゃないかな、という気がした。ともあれ既存の新書とは棲み分けている感じ。版型も違うしね。というわけで安心したのでした。


マルコ・イアコボーニ『ミラーニューロンの発見』

Posted by 向井 淳 on Sunday, 7 June, 2009

だいぶ間が開いてしまいました。そんなすごく忙しかったわけではないんですが……。間にやっていたこともそのうち補完するかも。

今日もそんな一冊ということで、ハヤカワ新書初回刊行の2冊のうち『ミラーニューロンの発見』。出てすぐに読んだけど、こちらには感想を上げていなかった。

ミラーニューロンというのは、運動に関連する細胞なのだが、実際に当人が運動しているときだけではなく、誰か他人がそのような運動をしているときにも発火するという脳細胞のこと。これぐらいは知っている人も多いと思う。私も知ってたし。でも、これがどれぐらい大きな発見かということはわかってないんじゃないだろうか。それがこの本の骨子である。

この本はミラーニューロンが発見された経緯からはじまって、基礎的な実験の説明を行う。そしてその過程で、ミラーニューロンがどのような特性を持っているか、それがなぜ脳科学者の予想を裏切り、驚くべきことであるかがきっちり説明されている。この部分は無類の面白さである。私の理解だが、ミラーニューロンの発見というのはつまり、脳は「認知」にかかわる部分とそのリアクションである「運動」にかかわる部分にきれいに分けられるのではなくて両者が渾然一体になっているというヴィジョンが開けたことにあるように思える。

面白い。でも、それはこの本の前半だけなのだ。後半がねぇ、なんというか……反応に困る。

本書中盤の説明では、ミラーニューロンはただの運動の認知だけではなく、模倣にも関わっているらしいという証拠が積み上がってくる。そこで著者は「メディアの暴力」に視点を向ける。

メディアにおける暴力が及ぼす影響については、統計学的には疑いようのないものなのだという。正直この辺は私は懐疑的な立場なんだが、たとえば「メディアの影響」などを読むと反論はしづらい。ともあれ、著者は様々な統計的な調査結果を引用した上で次のように述べる。

これらを考え合わせると、実験室の研究でも、相関研究でも、長期研究でも、結果はすべてメディア暴力が模倣暴力を誘発するという仮説を裏付けている。実際、統計的に見てもメディア暴力と攻撃性のエフェクトサイズ――二つの変数の関係の強さを測る指標――は、受動喫煙と肺がんのエフェクトサイズ、あるいはカルシウム摂取量と骨量とのエフェクトサイズ、アスベスト被爆とがんのエフェクトサイズを遥かに上回るのである。だが、いくら目を引く結果だとはいえ、このような行動データは真っ向から噛みつかれることはないにせよ、いくぶん懐疑的な目で見られる傾向にある。相関関係がどれだけ強かろうと、それは必ずしも因果関係ではないというわけだ。この指摘は理論的にもちろん正しい。正しいが、これは二十世紀の大半にわたってタバコ産業が使ってきた手でもある。

そして著者によればミラーニューロンの研究はこのギャップを埋めるのに役立つのだという。

本書ではさらに「ニューロエシックス」や「ニューロポリティクス」などというタームも飛び出す。人間の自由意思との関わりについても書いてある。自由意思と、人間の生理的な特性は対立しないというのが著者の立場だ。生理的な特性はある種の傾向を意味するだけであるが、その特性を抑えておくことが重要だという立場だ。この説明は、読むとそれなりの妥当性があるようにも思える。

それでも私は首をかしげる。

個人的には、著者はどうもミラーニューロンにこだわりすぎというか、その結果あまりにも先走っている印象を受ける。最後の方は実験の結果もきちんと出ていないようだし、ニューロポリティクスには異論もあるようで、これをざっと眺めてみてもその印象はそれなりに正しいっぽい。けれども、ミラーニューロンではないにしても、脳科学の発展して私たちの脳の特性が浮き彫りになったとき、メディアやエンターテイメントというものは本質的に変化せざるを得なくなるのかもしれないことはありえて、そこを否定するのは難しい。著者はそうした未来図に対して非常にポジティブなイメージを持っているようだが、どれだけポジティブに書いていても、というかこういうことをポジティブに書けば書くほど、どうにも気持ち悪さを感じるのである。

なんと言ったらいいのかわからない、非常に「難しい」読後感だった。