カズオ・イシグロ『夜想曲集』
素晴らしい短編集でした。カズオ・イシグロによる初の短編集らしい。
「音楽と夕暮れをめぐる5つの物語」という副題が付けられているし、タイトルも『夜想曲集』なのでそれとわかるように、音楽にまつわる短編でまとめた短編集で、すべて書き下ろしの作品になっている。ただし、どの作品も「夕暮れ」を思わせる辛さ、物悲しさ、そしてノスタルジアを含んでいる。才能はあるが成功しなかった男、すれ違いになる男女などなど。
中でも面白かったのは冒頭の「老歌手」。主人公はあちこちのカフェを転々としながら演奏する流しのギタリストで、ある日、客の中にとある老歌手を発見する。その歌手こそ、自分の母、そして自分が昔から憧れていた歌手だった。憧れの気持ちでつい話しかけ、意気投合したところで、老歌手から1つの依頼を受ける。船を出すので海から、妻のいるホテルの部屋に向けて自分の歌、彼女の好きな歌で歌いかけたいというベネチアらしい趣向だ。だが……という筋立て。ある意味で悲劇的な結末を迎える物語だが、淡々としていつつも不思議と前向きな雰囲気も感じられる作品になっている。
もうひとつ、「モールバンヒルズ」という作品も良かった。主人公は、ロンドンで音楽をやろうと志し、いまは田舎に戻って音楽を作りながら実家のカフェを手伝っている若者。そこにある日、夫婦の観光客が訪れるのだが……これはまあ、夫婦間の断絶というか、ポジティブ思考な人とネガティブ思考な人の断絶というか、言ってしまえばそれだけの話なのだけれど、苦い後味が印象深い。
ほか3篇も特に言及はしないけれども面白かった。
本書に収められた作品はどれも非常にシンプルだ。文体だけではなくてテーマもはっきりとしていてわかりやすい。こういう短編集は個人的には大歓迎。もっと出てきて欲しいけど、解説でも言われているようにやっぱり短編は売れないんですかねぇ。
