Monthly Archives: February, 2008
matz talk @ googleplex
まつもとさんの Googleplex での tech talk がいつのまにやら YouTube に上がってた。
まだ見てません。
reddit日本語化
朝に軽く ja.reddit に目を通していて、なんかおかしいな?という気がしてきたのでよーく見てみたら、UIが日本語化されとるね。おー。個人的には前のでも問題ない気がするが、間口を広げるという意味ではいいことかもね。公式ブログにもアナウンス。
UIの言語は設定画面から指定できるらしいが、ぼくの場合は勝手に切り替わっていた。前からこの項目あったっけ? とりあえず日本語にしておいたのか、新設定切り替え時に Accept-Language か何かを見てデフォルト設定を指定したのか。どっちでもいいけど。これでユーザ数のさらなる獲得となるか?
貴志祐介『新世界より』
新世界より 上 新世界より 下
完成度の高いエンターテイメントを読まされると、ここが面白い、ここがいい、そういった部分部分の良さはむしろ後退し、渾然一体となった全体として面白さだけが頭に残る。そのため「あー面白かった!」というつまんない感想以外が出てこない。そんな感じのエンターテイメント巨編。あー面白かった。
1000年後の未来、人々は「呪力」というパワーを持っていて、平和に、ほそぼそと暮らしている。ところがその世界は……という設定は、こうして書いてみるとびっくりするほとありきたりだ。超能力ものにありがちな「大多数の一般人vs少数の超能力者」という構図の場合、舞台を現代にして対立や戦争の予兆を描くものが多いけれども、そういうことがあった遥か後の時代をこんな風に描くというのはあまり見かけない……が、そこに新しさを求めるのはなんか違う。けれども、こういう設定がとても有効に機能していて伏線をきちんと張ってきちんと回収していて、なおかつとてもリーダビリティが高く、さらに読み応えもちゃんとある。ブ厚いし安いわけではないけど、厚さのわりに値段は高くないし、それだけの価値がある傑作です。
主人公が10年後から回想した手記という設定を取っていることを念頭に置くとちょっと気になる描写もあるし、そもそもこんな長い手記書くやつがいるか(笑)といった齟齬がないわけでもないけど、基本的にたいへん面白い。ところが、「どこが?」と問われるととたんに「全体的に」としか言えないのが悲しいところ。アクションあり感動ありグロあり笑いありなんでもありで大変よろしいのですよ。
それはそれとして「略奪者集団」の描写がいかにも北斗の拳だったりするあたりには苦笑しました。
別解問題の計算論的複雑さと完全性およびパズルへの応用
という論文を読んだ。http://www-imai.is.s.u-tokyo.ac.jp/~yato/library.htmlより、修士論文。
この著者はスリザーリンクのNP完全性を証明した人。この論文では「別解問題(ASP)」という問題に着目していて、 ASP 完全なパズルについて議論している。別解問題というのは、ある数nに対して「ある問題に対してn個の答えが与えられているときに残りの答えを出す」というような感じの問題。で、 ASP 完全な問題のとき、 n-ASP の決定問題(ある問題とn個の答のセットが与えられたとき、さらに答があるかどうかを判定する問題)が NP 完全になる。論文中ではスリザーリンク、数独、フィルオミノの ASP 完全性の証明が載っている。
パズルは人手で作ることが多いけど、ある問題に対しては解が一意に定まってほしい。ということで、ある問題が与えられたときに解が本当に一意であるかどうかを調べるのが別解問題で、この論文では、仮に答えがわかっていてもほかに別解が存在するかどうかの判定することが本質的に難しくなることを示している。
ウィルキンソンはペットボトルあるよ
http://sho.tdiary.net/20080222.html#p02
あと、ガラスビンで量も少ないウィルキンソンと比べるのは意味ないと思います。こういうのはコンビニで普通に買えて持ち歩けるペットボトルなところに意味があるんだから。
については反例の写真を。 http://picasaweb.google.com/jun.mukai/Misc/photo#5170191185425437778
これは2年くらい前に撮って mixi 日記に上げてたやつ。当時のぼくの大学の理工学部キャンパスの生協には置いてあった。でも、けっこうな頻度でぼくは買ってたけど、あまり売れてなかったのか、けっきょく何かの機会に消えてしまった。それとも、商売が成り立つかどうかの試験期間だったのかな。コンビニで見たことはありません。環境として、ちょっと特殊すぎかな。
あと、写真はどっかいっちゃったけど以前にRHG読書会か何かでタイムインターメディアにおじゃましたときには社内用の自販機に缶入りのウィルキンソンてのもあった。缶といってもキャップつきのやつで、当時はRHGのたびに毎月飲んでいた気がする。
ってことで、環境を限ればあるところにはある。つまり、需要さえあればそういうパッケージも実は存在しうるんだけど、なぜコンビニに展開しないかというと、ウィルキンソンにしろ Diabolo にしろ、コアな人気しか獲得できなくて全国展開できるほどのタマじゃない、ってことなんでしょうね。それほどまでにカナダドライ==ジンジャエールの図式を崩すのが難しいと。Diabolo は販売当時に飲んでみて「おお、これはなかなかヨイ」と思ったんですが、その後ぜんぜん見かけないままいつのまにか消えちゃってたんだよな。
mixi のスモールワールド性
http://alpha.mixi.co.jp/blog/?p=144
これは楽しい。
いろいろ思うのだが、まず第一には「本当にスモールワールドで本当に6次くらいの隔たりなのか」ということだね。スモールワールド性はともかく6次の隔たりというのは信用していなかったので、本当に6か7くらいでつながってしまうのだというのは驚いた。
また、1.4%ほどのユーザが切り離されているということ。mixi内に巨大な切り離されたクラスタがある、みたいなジョークがあったりしたが、それはないにしてもそれくらいは出てくるのだということか。この切り離されたユーザたちはほとんどが孤立しているのだろうか。
留保すべきこと。 mixi のネットワークは紹介ベースで広がるものだから、そもそもスモールワールド性が維持されやすいかもしれない。有名なバラバシのアルゴリズム(スケールフリーネットワークを作るやつ)は「新しいノードが追加されるときにはリンクが多ければ多いほどエッジを張りやすい」という条件を持っていた。 mixi のネットワークの成長のしかたもこのアルゴリズムの性質に従っているのかもしれない。つまり言いたいのは、現実の人間関係と mixi 内の関係はかならずしも綺麗に一致するわけではなく、しかもスモールワールド性が維持されやすい方向に乖離しやすいのではないかということね。
そういえば mixi 内リンクのスケールフリー性はどうなっているのかな?…と思ったけどリンク数は1000で頭打ちになっちゃうからうまくないのかも。
ともあれ、そういう次第で紹介ベースではなくてユーザが勝手に入会可能なシステムでも同じようなサーベイをしてほしいところ。たとえば Yahoo Days なんかがそうだがユーザ数が悲しいほど少ないからなぁ…… Facebook とか、どうですかね。
小川一水『妙なる技の乙女たち』
妙なる技の乙女たち
軌道エレベータがついに完成した近未来、その軌道エレベータのふもととなる海上都市リンガを舞台にした連作短編シリーズ。連作といっても舞台が共通なだけで短編どうしのつながりは薄いというかほとんどない。ポプラ社の asta に連載していたらしい。
媒体がそうだからなのかはわからないけど、設定は基本的には背景であって、そういう設定のそういう都市に生活し、働き、思う様々な女性たちの姿を描いた小説として読むべきもので、最後の作品をのぞいてはいわゆるSFっぽさはあまりない。逆に言えば、設定をこんな風にしなくて普通小説としてもつくれる短編も多いと思うが、敢えてこうしたのが作者の拘りなのかもしれない。
ま、ジャンルがそれほど重要なわけでもなく。本書はひとことで言えば「働く女性」を描いた物語(群)なわけであるが、一括りに「働く女性」といっても性格もそこにいる理由も働くわけも直面する困難もそれぞれに分かれている。そういう描き方もいいし、東南アジアに設定されているリンガのやや猥雑な雰囲気も出ていて、なかなかよかった。小川一水はいわゆるSFでないところにも面白い作品はものしているわけで(『こちら郵政省特配課』とか)、そういう雰囲気の、軽めの作品として楽しく読める。
ところで、小川一水は実は mixi のコミュニティも作ったくらいにはファンなのだが(まあ管理者になれているのは先住民特権という気がするが)、どういうところが好きなのかあまり言語化できていなかった。けれども、この本を読んでいてふと「希望の感触」という言葉を思い出した。出展は『天使墜落』。本自体は奥まった山の下の方に積んでしまったようなので取り出せないからうろおぼえで書くけど、「なぜSFを読むのか」という問い掛けに対して「どんなディストピアが舞台でも、未来は自分たちの手で切り開けるという感触がある。それがSFを読む理由だ」っていうような主張を主人公にさせていて、それは作者であるニーヴンの主張なのだろう。そんなようなことを思い出したのである。
個人的には、このニーヴンの主張に諸手を挙げて同意をするわけじゃあないんだが、まーーそういう面もあるかなあ、というくらいの感じ。でだね、小川一水には基本的に、その「希望の感触」があるんではないかな。 もちろんこの本にもね。
こっちもおすすめ、ってことで→ こちら、郵政省特別配達課! 新版
有川浩『阪急電車』
阪急電車
阪急今津線を舞台にした短編シリーズ。各駅の名を冠した章になっていて、電車がその駅の区間にいるあいだのちょっとしたことが描かれる。各章はわりと独立しているが、いちおう同じ電車ということになっており、ゆるやかに連続しながら視点を移していく。描かれるのは、軽い恋愛のはじまりだったり、終わりだったり。なかなか楽しく読んだ。
ところでこの本にかぎらず有川浩は地の文体が口語的で、「軽くパンクな」とかいう言葉づかいをしてしまうわけだが、これは自然体なのか意図的なのか。小説を読んでいるときにはかなりひっかかるのだが……たぶん意図的なのだろうと思う。そういうものだ、と納得はできるのだけど、やっぱりひっかかる(笑)。
ところでこの作品は「パピルス」に連載されていたものだそうだけど、連載ぶんはおよそ半分。残りは「折り返し」と称して、「行き」の数ヶ月後、描かれた人たちのその後を描いている。というつくりになっているため、「行き」では断章のように断ち切られていたキャラクターたちにふくらみが出ていてよかったと思う。ただ、個人的な趣味を言えば、「行き」のラインでは一駅一キャラクターの線を踏み越えずに、折り返しで「その後」を語ってくれた方が正規的で気分がいいなあと思うのだが、たぶんぼくは読み方からしてどこか踏み違えている。
「高学歴ワーキングプア」について思うこと
トラックバックを受けて、読んでみたら否定的な文脈で紹介されていたので紹介するとともに、少し考えたことを書きつけておく。 http://narratorian.jugem.jp/?eid=26
まず、自分の文章を読み返してみたところ、ぼく自身のスタンスがわかりづらかったので一言で言うと「博士は、自身の専門知識やアカデミックポストへの拘りは捨てて、ふつうの会社でふつうに働けばいいしそうするべきである」というのが、大雑把なぼくの考えである。
指摘されて思い出したのだが、確かに水月さんは「博士には専門性を生かした職業を」という主張をしていたような記憶がある。でも、それってナンセンスじゃないか。また、トラックバックしてくれた藤原さんという人は大学の講師をもっと増やすべきだという主張をしているように読めるけど、これまたナンセンスではないだろうか。
先に大学について。日本はどんどん少子化の傾向が進んでいる。学生はどんどん減る傾向にある。大学経営の詳細はよく知らないけれど、大学そのものが潰れたり統廃合したりするのがこの後の展開として想像されるわけで、講師の口なんてのはむしろ減る方向にあるだろうというのが健全な予想じゃないだろうか。そうでないにせよ、単に「博士が余ってるから」という理由で講師を増やせなんて主張は、ぼくにはとても正当には思えない。そうすることによる大学のメリット、それだけの雇用を増やすことの正当性はどこにあるのだろう? 相手にとってメリットのない発言は単なる駄々じゃないのか。
次に、専門性を生かした職業というけれども、そういう社会的なニーズがあれば博士たちは真っ先に飛び付くだろうと思う。そんな職がないからみんな困っているのだ。そういうのは絵に描いた餅というのではないか。わたしには水月さんの主張は、ちっとも説得力も現実味もあるようには見えなかった。そもそも専門分野によっては社会的なニーズがさっぱりない分野というのはあるわけである。そういう人はどうすればいいわけ? まさか国が職を斡旋せよという馬鹿な主張をしたいわけでもあるまいし。
つまり(今、ここで迷っている博士たちに焦点を絞れば)問題になっているのは「社会的にはまったくニーズのない専門知識について何年も研究をつづけて若い時期を過ごしてしまった人たち」をどう社会に還元するか、っていう問題だと思うのです(ついでに言えばそれは博士だけに限った問題ではない)。
誤解してほしくないですが、ぼくは「社会的にまったくニーズがない」と「価値がない」はイコールだとは思っていない。今の世の中では必要とされていないし、今後もぜんぜん必要とされないかもしれない研究っていうのは、やっぱり必要なのです。科学の発展とか、そういう視点においては。
ただ、そういう研究に従事している人に「これはこのまま続けて卒業しても仕事はないだろうな」っていうミクロな視点がないのはやばい。それはまじでやばい。だいたいふつう研究してたらわかるだろうそれくらい、ってぼくは思うんですが、水月さんの本を読んでいて気付かされたのは、どうやら「自分は高度な知識を有するのである」という下らないプライドに振り回されている人は実はいっぱいいるらしい。研究の価値とか面白さと、社会でその専門知識を生かした職を得られるかってのは当然別問題で、それは当たり前だと思ってたんですが……。
話を戻すけど、「専門性を生かした職に就けないか」なんてのは誰でも試していることで、そこまでは前提なんじゃないですか。「でもそれは難しいよね」っていうところに問題が高く聳えているわけです。それでもチャレンジする人はするけど、けっきょく諦めて専門分野を捨てて、ふつうに仕事を選べばいいんじゃないかと思うね。それに捨てるっていうと言葉は悪いけど、べつに仕事と学生時代の専門分野を直結しないというだけのことではないかと思うんですよ。
ただね、ぼくの主張で世の中まるく収まるという話ではありません。仮に当の博士たちが腹を括ったとして、企業にしてみれば特に業務に詳しいわけでもない30手前の学生が応募してきて雇うだろうかという問題。それにやはり、博士は「専門性を生かしたポスト」がイコールになるという認識が強いから雇いたがらないという局面もあるでしょう。だから、いまここで余ってる博士をどうするかというのが問題になるわけで、そうした踏み込んだ議論はぜんぜんしていなかったと思うけど。だから単なる恨み節に聞こえるんじゃないですかね。
あとひとつだけ。国策として大学院生を増やしていたのに卒業したらそのまんま捨てられちゃうのは惨いという主張がある。それはまったくその通りだと思う。でも嘆いていたって仕方ないでしょう。べつに自己責任だとかいうレッテルを貼りたいのではなく、嘆いてないで今の地点からなるべくいい着地点を模索するべきじゃないですか。そしてその「着地点」というやつにアカデミックポストしかないのが問題なんじゃないでしょうか。
ちょっと個人的なことを書きたい。
ぼくは研究分野がいちおう情報系で現職はソフトウェアエンジニアだから、まさしく専門性を生かした職に見えるかもしれないけれど、それはちょっと誤解だ。ぼくが学生時代にやっていたのは知能ロボットとかヒューマン・ロボット・コミュニケーションとかいった、悪く言えばうわついた研究だった。そういう研究と今の職業は同じコンピュータを使うといっても物凄く遠い。精神病の研究で博士号を取った人がいきなり外科医で開業するのと同じくらい違うと思う (医学を知っているわけじゃないが)。
この日記では Haskell や Ruby といったプログラミングの話題や FreeBSD/Linux の話題、計算理論の話題なんかをときどき持ち出していたけれど、あれはまったくの趣味で、研究とはまったく関係ない。単に好きだからやっていたわけだ(システム管理についてはそういうアルバイトもやってたけど)。ただあの当時、このまま研究者になるならいいがそうでないなら潰しが効かなくなるな、という漠然とした不安もちょっとはあった。それに自分は研究者には向かないんじゃないかという悩みもあった。
結果的にはそういうところで得た知識もあったことで現職を得られたんではないかとぼくは考えている。ようするに「学業」やら「研究」やらの余暇に保険をかけていたわけで、保険が効いたわけだね。ちなみに現職では、博士号を持ってるからどうこう、ということは全くありません。
だから「専門知識を捨てて職を得る」というのは自分の体験を書いているつもりである。ぼくと同じようにして上手く行くとは限らないし、そうすることが誰にとっても幸せなわけではないだろう(ぼくだってもう一度同じ状況になって同じように上手くゆくとは限らない)。結果的には上手く行ったやつが上から目線で語ってるように見えるかもしれない。ただ、そういう事例もあるということを紹介したくて書いてみた。
山本弘『MM9』
MM9
世界は怪獣災害に悩まされていた。年に何度か、どこからともなく現われて人々に害を与えて去ってゆく怪獣たち。そんな怪獣たちに立ち向かう人々がいた。怪獣を発見・特定し、性質や修正を調べ、弱点を特定する、彼らは気象庁特異生物対策部……通称、気特対!
という設定の怪獣小説(笑)。気特対の人たちは、じかには戦わないのね。怪獣は自然災害なので、気象庁の人たちが予測をする。で、退治の方法がわかったら自衛隊の人たちにおまかせするという段取りに、まず捻りがある。それから、物理法則を無視するような怪獣たちがなぜ出現するのか、というところに人間原理を織り交ぜた無茶な説明が加わる。
それだけじゃなくて。なんていうかな、怪獣ってのは基本的にビジュアルなものなんですよね。怪獣小説ってのもあるけどそんなにメジャーなジャンルではないし、基本的にガッカリなものが多い感じがする。ガッカリというか、「まあ面白いんだけどナンか違うよなー」みたいな感じか。でも本書は作者が作者だからか、面白いだけじゃなくて非常に怪獣怪獣していていいのだね(我ながら何を言いたいのかよくわからん説明だが……)。かつまた、登場する怪獣もそれぞれ捻りがあってよろしい。
ともかく、どこを取っても「あー山本弘は楽しんで書いてるなー」という雰囲気に満ち溢れているのが大変にすばらしいのだな。オチがウルトラというのはちょっと想像できませんでしたが。いやーころっと騙されちゃいまして、「そういうオチかいっ(笑)」みたいな感じ。そんなところも含めてヨイですね。