スラッシュドット / ブログは死にゆく技術か?
とりあえず「技術」じゃなくて「メディア」だと思うけど、まあそれはさておき。
「ブログ」なる言葉が生まれる前から日記を書いていた身としては、海外で黄金時代だろうが廃れようが日本で流行ろうが寂れようが、そんなことには大した興味がない。今でもわたしは日記は書きたいと思っているし、すくなくともまだまだ書き続けたいと思っている。その面白さは、twitterやブックマークでは、やはり満たされない。
わたしにとって、ここはいまだにウェブ日記で、ブログの趨勢とは異にしているのだろう。けっきょくブロガーとなれなかったわたしにしてみれば、好き勝手に流行ったり廃れたりすればよろしい。
もう少し書こう。
実際にブログが死にゆくのだとする。海外の状況は大して知らないのだが、日本のブログの利用法を眺める限りでは、ようするにそれまでのブログの利用形態が代替可能だったというだけに思える。たとえばブログを特定の数人の友達とのコミュニケーションのために使っていた人はmixi日記があれば更新を止めてしまう。気になるURLのクリップとメモならdel.icio.usでいい。「めしくった、美味かった」「○○に参加。面白かった」とかならtwitterを知ればそれでよしとする。
そういう風に「それまでブログで代用していた何か」をターゲットにしたサービスによってブログなるものが消えていく。けっきょく残るのは「それ以外の何か」である。「それ以外の何か」がどんなものかはともかく(たとえばこの文章などがそうだ)、そんなものはない、という主張であれば「そんなことはない」とわたしは抗弁する。ただ「それが有益か」と言われると返答に窮する。
しかしまあ、無益だからってどうということはないだろう。ブロゴスフィアなる界隈の胡乱な人達は、どうも有益な情報なるものをいろんなひとがいっぱい書いて、そうすると世の中はとにかく素晴らしくなるという不思議な価値観を有しているようにわたしは疑ってる。そんなわけねえだろ。
そしてまた一週。
こないだの寒さの話について補足をすると、昼に日照がきちんとあるとかなり暖い。確かにTシャツ一枚でも十分なくらいで、あるいは暑いと表現しても妥当かもしれないくらいではある。というわけで、こないだのはさすがに早計だったようだ。しかし曇ると肌寒いし、いずれにせよ夜は寒いわけだけど。
中国人と間違えられて名乗ると「ニーハオ」と呼ばれたりしたことがあった。なるほど、言われてみれば日本人というフックの少ない名前ではある。中国人でいてもおかしくない気もする。名前自体はわりと気に入っているのだが、そんな罠があるとは、かれこれ四半世紀以上も日本で生きてきて想定していなかった。
ダイソーに行く。アメリカにもダイソーがあちこちにある。とはいえ100円ではなく1.5ドル。消費税とか諸々を足すと、たぶん一品あたりの値段は180円くらいである。それにもちろん、最低額ではない品物もかなりいっぱいある。そんなわけで思ったより高い気がするのだが、ああいう品物はあんまりよそでは買えなかったりするので重宝するのは確かだ。
あ、ちなみに、売ってるものは日本とまったく同じである(だから重宝するわけだ)。まったく同じというのはどのレベルで同じかというと、ラベルに日本語が書いてあるというレベルで同じである。店内のレイアウトもふつうに日本のその辺のダイソーとかなり似ているわけで、店内をうろうろしていると、「男」とデカデカと書かれた暖簾とか、土鍋と蓮華とか、芥川龍之介の本とか、そんな類の品物を発見して「これは誰が買うんだ?」としみじみ感じ入る次第。
ところで、その重宝しているというダイソーでは、店員の手によると思われるポスターで「Japanese Quality Imports」と主張している。なるほど、ジャパニーズクォリティは高品質ということだと主張したいのだなあ、ダイソーは日本発で世界にはばていているのだなあと歪んだ国粋感情が満たされるわけだが(嘘)、だがちょっと待て、ダイソーの製品の大半はメイドインチャイナじゃないのか。もうすこしキャッチコピーを考えなおせ。
まあ、そんな感じで楽しく暮らしています。