jijixiさんの日記をみてhttp://speedtest.10-fast-fingers.com/を何度かやってみた。結果はおおむね、
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You reached 248 points, so you achieved position 26023 on the ranking list
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You type 343 characters per minute
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You have 62 correct words and
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you have 2 wrong words
といったところを推移しているようだ。まあこんなところだろう。
タイピングについては、どうやらある種の才能というか、途轍もなく速く打鍵する人がいると思っていて、わたしはそういう人たちにはとても敵わないなといつも思っている。きっと指先の器用さとか反射神経とか、タイピングの練習とは違った根本的な何かを改善しないといけないのだろう。
まあ、これ以上速くしたいと思っているわけじゃないんですが。
ところで、この問題は英単語が延々と(たぶん)ランダムに出てくるだけなわけですが、そこなんとかならんかったのかな、と少し思う。たんなる単語の羅列だけなので打鍵のリズムがすこし削がれて遅くなるのだ、とか(負けおしみ)。わからないが、単語のバイグラムかトライグラムで出現頻度を調整したら、もっと自然に打鍵できるようになるんじゃないだろうか。まあ、そうしたところでわたしの順位だけが上がるわけはないんだけど。
で、こういうタイピング練習ソフトというのは、単純にランダムな単語を並べるか、さもなくば固定的ないくつかの例文を打鍵させたりしている。ランダムな単語だと正確にタイプできる能力が養えるが、実際によく使うのは単語の連なりなので例文の方がいいっていうことなのかもしれず、しかし例文というのは人間が書かなければならないからバリエーションが出しづらい。ランダムに例文(っぽいもの)を生成できるとすれば、うん、これはなかなか面白いんじゃないかという気もする。
……など思ってみるが、たぶんこの程度ではハチャメチャな文章もどきしか出てこないだろうから、むしろ気が散って遅くなったりしそうだ。
そういえばすこし前に会社の人(日本人ね)と食事をしていたときにタイピング練習の話になって、わたしはそのむかし『クムドールの剣』で勉強をしたことがあったんだけどその話をしたらまったく通じなくてちょっと悲しかった。いや、そーゆーPCゲームがあったんですよ、っていうだけなんですけどね。
フランスの「人間計算機」、200桁の数字の13乗根の暗算で72.438秒の世界記録
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「人間計算機」のあだ名を持つまでになったが、自分では「人間コンピュータ」というあだ名の方がもっと正確だと思う、と珍しく笑顔を見せた。
ええっ、どう違うのよ!?
いや calculator (計算器)と computer (計算機)の違いだろうな、というくらいは察しがつきますが……。
この記事のもととなった文章はうまく発見できなかったのだが、http://observer.guardian.co.uk/magazine/story/0,,2206909,00.htmlとかを見るに、やはり「Human Calculator」というのが彼の渾名のようで、やはりそんなところなのだろうが。
それにしても、13乗根というのはさすがにどう計算すればいいのかすらわかりません。概算から近似していく方法くらいしか思いつかないけど、それでは速い遅い以前に「最初の桁」と「最後の桁」はわからないはずなのでその手法ではないのかなあ。ただ、ぼくらでも平方根の一番下の桁の値はわりとすぐ候補が出るわけで、同じように端の数値だけ別プロセスであらかじめ計算しておき、得られた数値を途中の計算に制約をかけたり検算に利用したりするのかなあ。
スラッシュドット / ブログは死にゆく技術か?
とりあえず「技術」じゃなくて「メディア」だと思うけど、まあそれはさておき。
「ブログ」なる言葉が生まれる前から日記を書いていた身としては、海外で黄金時代だろうが廃れようが日本で流行ろうが寂れようが、そんなことには大した興味がない。今でもわたしは日記は書きたいと思っているし、すくなくともまだまだ書き続けたいと思っている。その面白さは、twitterやブックマークでは、やはり満たされない。
わたしにとって、ここはいまだにウェブ日記で、ブログの趨勢とは異にしているのだろう。けっきょくブロガーとなれなかったわたしにしてみれば、好き勝手に流行ったり廃れたりすればよろしい。
もう少し書こう。
実際にブログが死にゆくのだとする。海外の状況は大して知らないのだが、日本のブログの利用法を眺める限りでは、ようするにそれまでのブログの利用形態が代替可能だったというだけに思える。たとえばブログを特定の数人の友達とのコミュニケーションのために使っていた人はmixi日記があれば更新を止めてしまう。気になるURLのクリップとメモならdel.icio.usでいい。「めしくった、美味かった」「○○に参加。面白かった」とかならtwitterを知ればそれでよしとする。
そういう風に「それまでブログで代用していた何か」をターゲットにしたサービスによってブログなるものが消えていく。けっきょく残るのは「それ以外の何か」である。「それ以外の何か」がどんなものかはともかく(たとえばこの文章などがそうだ)、そんなものはない、という主張であれば「そんなことはない」とわたしは抗弁する。ただ「それが有益か」と言われると返答に窮する。
しかしまあ、無益だからってどうということはないだろう。ブロゴスフィアなる界隈の胡乱な人達は、どうも有益な情報なるものをいろんなひとがいっぱい書いて、そうすると世の中はとにかく素晴らしくなるという不思議な価値観を有しているようにわたしは疑ってる。そんなわけねえだろ。
そしてまた一週。
こないだの寒さの話について補足をすると、昼に日照がきちんとあるとかなり暖い。確かにTシャツ一枚でも十分なくらいで、あるいは暑いと表現しても妥当かもしれないくらいではある。というわけで、こないだのはさすがに早計だったようだ。しかし曇ると肌寒いし、いずれにせよ夜は寒いわけだけど。
中国人と間違えられて名乗ると「ニーハオ」と呼ばれたりしたことがあった。なるほど、言われてみれば日本人というフックの少ない名前ではある。中国人でいてもおかしくない気もする。名前自体はわりと気に入っているのだが、そんな罠があるとは、かれこれ四半世紀以上も日本で生きてきて想定していなかった。
ダイソーに行く。アメリカにもダイソーがあちこちにある。とはいえ100円ではなく1.5ドル。消費税とか諸々を足すと、たぶん一品あたりの値段は180円くらいである。それにもちろん、最低額ではない品物もかなりいっぱいある。そんなわけで思ったより高い気がするのだが、ああいう品物はあんまりよそでは買えなかったりするので重宝するのは確かだ。
あ、ちなみに、売ってるものは日本とまったく同じである(だから重宝するわけだ)。まったく同じというのはどのレベルで同じかというと、ラベルに日本語が書いてあるというレベルで同じである。店内のレイアウトもふつうに日本のその辺のダイソーとかなり似ているわけで、店内をうろうろしていると、「男」とデカデカと書かれた暖簾とか、土鍋と蓮華とか、芥川龍之介の本とか、そんな類の品物を発見して「これは誰が買うんだ?」としみじみ感じ入る次第。
ところで、その重宝しているというダイソーでは、店員の手によると思われるポスターで「Japanese Quality Imports」と主張している。なるほど、ジャパニーズクォリティは高品質ということだと主張したいのだなあ、ダイソーは日本発で世界にはばていているのだなあと歪んだ国粋感情が満たされるわけだが(嘘)、だがちょっと待て、ダイソーの製品の大半はメイドインチャイナじゃないのか。もうすこしキャッチコピーを考えなおせ。
まあ、そんな感じで楽しく暮らしています。
けっきょく一週間以上、間をあけてしまった。もっと書けるかと思ったが案外と書くことがない……まあ、そりゃそーか。なにせにわか比較文化論をぶち上げるには期間が短いし、ほかに書くようなこともさしてない。日常の些細なことでも書いたらよいか。
日常の些細なことといえば、この辺りにはリスがやたらたくさんいる。というか野生動物はリスしかいないのか、というくらいリスばっかりだ。あとは名を知らぬ小鳥たちくらい。たとえば猫をまるで見かけない。
ところで、twitterに少し書いたのだが(そうか、些細なことはtwitterでつぶやいてそれでおしまい、としていることが多いのだな)、この辺の冬はけっこう寒い。カリフォルニアは11月くらいから雨季と呼ばれるらしくて曇天だったり雨が降ったりという気候が続く、らしい。この一週間もかなり曇っていることが多かった。雲が晴れて日差しが戻るとかえって長袖では暑いくらいなのだが、曇っているとけっこう寒い。それに日差しの弱い朝や陽が暮れたあとの夕方から夜にかけてもけっこう寒い。
探して見つからなかったのだが、Paul Grahamあたりが「カリフォルニアは冬でも暖くてTシャツ一枚でも大丈夫。そういう気候がイノベーションの源になっていてシリコンバレーが云々」みたいなことを書いていたような気がする。しかし本当にそうか。オレとしては、半袖で過ごすのは勘弁してもらいたいくらいの肌寒さだ。ただしボストンとかがシリコンバレーより気温が低いというのは確かにそうだろう。単に東京も同じくらい暖いというだけのことで(日本は温帯だからねえ)。
などと思いながら見渡すと、でも確かにTシャツ一枚とか半袖シャツの人というのもいる(もちろん、そうでない人もいる)。うーん、寒くないのかなあ……。
ああ、けっきょくにわか比較文化論になってしまった。ま、そんな感じでやってます。
会社のアレのため明日から三ヶ月ほど Mountain View に行くことになってます。ついては、その間は日記の更新はお休みすることになると思います。
いやまあ、何やかやであれこれ書くかもしれないけど、でも更新頻度は落ちるでしょう。とくに本の感想については、そもそも本を入手できなくなるだろうから激減するでしょう。もっとも、この日記で一番反応が薄いのが本の感想だし、その方がいいやっていう人もいるだろうけど。
ま、具体的にどうなるかは行ってみないことにはわからんところがあるわけですが、ともあれそういう次第でしばらくオンラインとの繋がりは薄れてしまうかもしれません。
ではみなさんごきげんよう。
S-Fマガジン 2007年 12月号
クリスマスSF特集と、ワールドコン総括号。
コニー・ウィリス「ニュースレター」
今年のクリスマスは何かがちがう。人々はきちんと列に並ぶし、純文学を読むし、万引きも起きないし、犯罪者は自首するし、ロクデナシとしかつきあわない妹がきちんとした男とつきあっている。共通項は、なぜかみんな帽子をかぶっていること。これは宇宙からの侵略なのでは!? 帽子は寄生生物を隠すためなのでは!?
といった短編。「人々がきちんとしていく」というあたりがコニー・ウィリスのいつもの調子で皮肉たっぷり。こういう話が最終的にどう持っていくか、というとオチは意外とストレートで少し肩透かしだったが、それでも充分に面白い。[*+2*]
チャイナ・ミエヴィル「あの季節がやってきた」
クリスマス(TM)が権利化された未来。クリスマスの各種の意匠も権利が保護されていて人々は伝統的な祝福をすることすらできず、偽物でごまかしてクリスマスを祝う……
いかにもミエヴィルらしいし、もともと社会主義の政党の機関誌に掲載された作品らしいので風刺もわかりやすい。んだけどわかりやすすぎてちょっとマイナスかなあ。そもそもミエヴィルは「基礎」とか、ああいうのは苦手なんだよな。[*±0*]
ピーター・フレンド「クリスマスツリー」
主人公の少年は村の外にクリスマスツリーを発見する。しかも実の熟れごろのすばらしいやつだ。村のみんなは総出でクリスマスツリーの捕獲にかかる、という掌編。ツリーの変てこな生態が面白くて、けっこう良かった。[*+1*]
M・リッカート「郊外の平和」
クリスマス間近の平凡な一家に少し奇妙な出来事が起こる……という短編。うーんどうなのかな。ふつうの文学としてはありかもしれないけど、やはりピンとこなかった。こういう話は苦手だ。[*-1*]
椎名誠「無言飛脚がやってくる」
話としては面白いんだけど、IFってそういうときに使うのかなあという疑問が。架空戦記の人とはだいぶ意見が違いそうだ。それに、一見何も変わらないように見えても実は……というところにもネタがあるんじゃないかという気も。電話のない世界も、飛脚が直に飛び回るよりは大声を出したり手旗信号を使ったり、腕木通信が開発されたりという発展が起きそうな気がするんだよなあ。
いやまあ、「その方がありうる」からといって、こういうナンセンスな世界が言下に否定されるわけではないんだけども。なんかSFっぽいことも書かないとなあ、といった不安というか何かがあるんだろうかと疑ってしまった。[*±0*]
谷中悟「僕たちの放課後」
AIによって制御されたサイボーグみたいな人々が(いろんな『事件』を経て)ふつうに暮らす時代。「子ども」たちは学校に通い、人間のようにふるまう。
設定も描写もいささか類型的にも思えるけれども、切り出される部分をこの場所としたことは上手い。ただ、『事件』の詳細をこの場所でこのように明かすのは上手くないように感じた。[*+1*]
長編の感想とかは略す。ただ、今月のリーダーズ・ストーリイはなかなか良かった。凶悪犯罪者の捕獲に失敗、原子破壊銃で打ち殺してしまった。脳の復元もできないし残された臓器もない。残っているのは飛散した体液に残された遺伝子のみ。そんな犯罪者A-D-AMに科せられた刑罰とは……というところに来る意外なオチが面白かった。
ワールドコンについては特筆することはないかなあ。ただ牧さんによるケリー・リンクのインタビューは必読。面白いです。
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西暦248年、不気味な物の怪に襲われた邪馬台国の女王・卑弥呼を救った"使いの王"は、彼女の想像を絶する物語を語る。2300年後の未来において、謎の増殖戦闘機械群によって地球は壊滅、さらに人類の完全殲滅を狙う機械群を追って、彼ら人型人工知性体たちは絶望的な時間遡行戦を開始した――
ふつうにエンターテインメントしてた。小川一水は朝日ソノラマではこういう作品をよく書いているけど、ハヤカワでは少し珍しい気もする。……ん? ソノラマ? ……という邪推はさておき、わたしはどちらのタイプの小川一水も好きで、楽しく読めた。
歴史改変ぶりも楽しいし(剣卓国てのがなんなのかは説明されるまでわかりませんでしたよ)、息もつかせぬアクションもあり、ちょっぴりロマンスもあって、SF設定もいい。少し難癖をつけると、この作品は「過去への干渉があると歴史が枝分かれする」という設定の時間SFなのだけど、作中のいくつかの設定はどうも辻褄があっていないように感じる。しかしまあ、じっくり考えないと細部はわからないので、細かいことは気にしないことにした。読んでいても「……あれっ?」と感じたりしたが、そのまま勢いに任せて読んでしまっていいんだろう。そういう牽引力がある。
ユニークなのは、舞台となる邪馬台国と近隣の住民がわりと方言を使いまくりというところかな。読みやすさに配慮したのか卑弥呼自身はふつうだが周辺はけっこうかなりきつい方言のこともあり、何を言ってるのか詳細がわからないようなレベルのものも(笑)。
時砂の王