についてここでまったく言及していなかったー。
ええっとそうだな、告知としてはSFセミナーとして、企画を3つと交流会(ルームパーティな)をやる予定なのですが、基本的にはほとんど企画とかに協力できてないボンクラスタッフであり申し訳なく思うので、当日には下働いていることになるから、よければ生暖かい目で見守ってあげてください。あと交流会は皆さんお気軽にどうぞ(まあ、これはウチがメインではなく、来年の日本SF大会であるところのDAICON7が主催ですが)。
で、わたしの参加予定としては、木と月は仕事があるので不参加。金土日と参加の予定。でも木は早く引けるから、オープニングセレモニー(19時からあるらしい)にはいるかも。早めに参加登録だけしときたいからね。どの企画に行くかは未定というか、どんな企画があるかもよく知らないのよね。まあ何とかなろう。
あと金曜は cataly さんの若者宴会に顔を出す予定っス。
ま、そんな感じなので参加予定な方々は現地でもしお会いできればよろしくおねがいします。楽しみましょう。基本的には楽しんだ者の勝ちだから、こーゆーのは。
arton さんの日記を LDR で読んで
富野監督の偉大さについてひとくさり感慨を述べたら
既出だった。いーけど。
やあ、でもホントに「あれの元ネタって何?」という疑問すら呈されずに使われていきそうな言葉であるのは凄いなあと思うんですよね。ま∀というアニメじたいはそんなにすごく好きなわけではないのだけれど。コレン・ランダー閣下とかいろいろ好みの要素はありますが……。
compelling weapon は「最終兵器」とか「究極兵器」とかでいいんじゃないですかね。それとも意訳しすぎ?
Programming Erlang は粛々と進めていて今は17章までかな。手元では18章の途中。コードスワッピングに関する記述を読んだけれども何だか拍子抜けというか、「えーそんなんでいいんだ」という感じ。でもこれをやるためには関数をメッセージで渡せないといけないから難しいか? でも RPC とか分散オブジェクトとかを考えたら、そんなの出来て当然でしょっていう気もする。
三省堂のSF関連トークショーにも行ったけど感想は面倒だし書きません。でも無茶苦茶楽しかったよ。古本もいっぱいあったので(『奇想天外』第1期揃い5000円はオレがいただいたけどな)。とり・みきの回にゆうきまさみがいて、あとの飲み会にもいらしていたが畏れ多くて話しかけることも叶わなかった。
『働きマン』[4]を読む。雰囲気が変わったよな。「ただ、がむしゃらに働くだけが、働きマンではないんだと最近思っています」っていう作者の弁はこの変化に対応している感じだ。オレは好きだよ、このまんがは。昔の雰囲気も好きだし、今のもいいかな。
『へうげもの』[5]いよいよ完成した古田織部の聚楽第屋敷にはさすがに驚いた。相変わらず無茶苦茶面白い。
ヘンテコ文学作家ケリー・リンクの第二短編集。
リンクについての持ち味は、柴田元幸氏の解説にもあるんだけど、よくありそうな(アメリカの)日常的な風景にゾンビとか宇宙人みたいなものが微妙に入り交じりながら、「物語の定型からずれつづけ、定型の関節を外しつづける」ヘンテコな内容ばっかり書いてある。
で、しかもそれ自体でけっこう面白い。物語の裏側を読んでも、単にそこにこもった情感だけでも。
ただなんというか、以前とくらべてだいたいどんな作品も生と死、死者の実在、ゾンビ、といったモチーフが用いられるようになってしまった気がする。リンクにとっての死者というのは、わかりやすい生と死の対比とはならず、上で引用した柴田氏の解説のように定型からはズレつづけるのだけれど、ただしリンクのなかでの用法はわりに一貫していて、ようするにそれは交感不能な存在である。生者と死者の交わりはディスコミニケーションの直喩だか暗喩だかでしかないわけだな。
それ自体はケシカランと怒るつもりはないのだけれど、そんなわけで本書は定型からズレ続けるわりには不思議と一本調子になってしまったきらいがある。そんな風に思った。前書『スペシャリストの帽子』の方が、まだバリエーションがあったのではないかなあ。
もっとも、まさにその類型というべき「大いなる離婚」という短編はけっこう面白く読んだわけで、それが本書に対する若干の不満の主因なのかどうかはちょっと決めかねている。
マジック・フォー・ビギナーズ
| スペシャリストの帽子
なぜだか大学生協に入らなくなってしまった(?)『数学セミナー』誌をこないだ買ったのでぱらぱらとめくっていたら、「エレガントな解答をもとむ」コーナーに竹内郁雄先生が出題していて、問題が code golf だった。
「エレガントな解答をもとむ」というのは、数学の問題を大学の先生方などが出題して、読者がその解答を提出して講評が行われるというコーナーなのだけれども。竹内先生の問題というのは、 Brainf*ck のような(実際にはけっこう違う)難読言語が定義されていて、「この言語でこれこれのことを実行する低コストのコードを書きなさい」というものなのだった。
というわけで興味のある人は読んでみてはいかがかと。締切が9月10日だから、それ以降くらいに問題とわたしの解答も書くかも。51両なんだけど、もっと安くなるのかなー。
しかしテストするために実行系をつくっていたら、これの実行が遅くて遅くて。
追記: すぐ 49 両にできることがわかりました。そんなもんかー。
追記2: 初期化を1つ忘れていた。50両。
amazon のおすすめ商品のリストは個人的にはわりと見ていて、まめに更新している。たまに、「おお、これが勧められてくるか!」と思ったりとかして、けっこう楽しいと思ってる。
でもこれはたまにやるから面白いのであって、ヒマツブシに(あるいは現実逃避に)短い時間間隔でやっていると、リストはすぐ固定化されてしまう。
で、やっぱり自分に興味のあるやつは買ったり知ってたりするわけでスコアをつけるわけであるから、変動がなくなって落ち着いたリストに残ってるヤツっていうのは、たとえ上位でもわりと、「確かに関係あるっちゃあるんだけど、オレにとってはどーでもいいんだよね、残念ながら」という作品が並びがちだよなあと。
ということは誰しも思うことだと思うし、わたしも前々から思ってたんだけど、これってひょっとしてピーターの法則の変種か。
いつまでもデブと思うなよ
理知的な本だと思ったな。
内容が理路整然としているということではなくて。いやそれもあるけれども、減量に対する岡田さんの姿勢が理知的。
減量というのは、基本的には「消費量以上に食わない」か「食う以上に消費する」かのどちらかしかないわけで。数ある減量法というのは、いかに持続可能な方法を提示するか、っていうことなんですけれども、本書で岡田さんが提案しているレコーディングという方法が万人に受け入れられやすい方法であるとは、個人的にはあんまり思えないのだな。ある種のマメな人にしか通用しないでしょう。
でも面白いのはさ、減量のために、まず食うものをすべて記録するということだよね。それってつまり、自分がいかに食っているかということを確認することだし、太る主因を探るということだと思う。
作中にも書いてあるけど、太っている人と痩せてる人が同じものを同じだけ食べているということはあるわけで、それじゃ何が違うの、ということになる。何が違うかってーと典型的には間食ってことになるんだけど、本書でやっているアプローチというのは、自分が(たとえば)いかに間食を取っているかを確認する作業なわけだよね。最初は食べている種類だけ、次にカロリーを記録していって、それを分析する。分析して、こういうものを食っていたらそりゃー太るよな、と納得する。
減量したいなあ、という人はふつうまずそんな分析からは入らない。でも、この本ではまずそれをやらせている。当人にその理由を求めさせている。で、理由がわかれば、あとはなんとかなると。
いや実践してないからわからないけどね、そんな風な感じなのかなと。そんで分析と納得ありきの手法なので、理知的と思ったですよ。
てわけで、そういう手法が向いている人にしか向かない手法なんじゃないかと思うわけだけれども、このいかにもおたくっぽいアプローチを、いかにもおたくっぽく(リクツっぽく)語ってるところが面白い本だなーと思いました。
しかしこの本、渋谷のブックファーストで買ったんだけど、売れ筋の新書を面陳してる棚にあって、この本だけがものすごく減ってた。売れてんだなー。
いろいろ聞いていたけれど、確かに「夕凪の街」の麻生久美子が抜群によかった。すばらしかった。総じて頑張っている感じで、全体としてはよかったと思う。
で、「夕凪の街」は、結末のあたり以外はかなり原作に忠実に作ってあって、多少のアレンジがあっても、わたしはあれでいいと思った。いい雰囲気で作ってあって、ちょっと泣けた。けれども「桜の国」がちょっと、ね。
原作では時系列で異なる二本のエピソードとしていたのをうまく混合していたのは機能していてよかったし、いい点はいっぱいあるんだけど、大袈裟に言えば根本的なところで認識の違いを感じたのですよ。
「桜の国」には(いや「夕凪の街」にもだけど)、ちょっと調子のはずれたユーモアがいっぱい潜んでる。「またいらぬことを知ってしまった!」とか七波がつぶやいたりとか。最後のコマなんかも特にそうだと思うのね。
で、こういうトボけた笑いこそこうの史代の持ち味だし、何よりこの作品の持ち味だったと思うのだ。うまく書けないんだけど、原爆という居ずまいを正して拝聴するべきテーマであるものを、こういう風に描いたってことが、このまんがの良さだったんじゃないかなあ。
それでも、あのラストには泣いているような客もいたみたいだから、この選択が失敗だと安易に断ずるのも少しためらわれるのだけれど。でも、それでいいのかなあ、と思うのだな。まあだから認識の違いだな。
よかったところ。旭と京花のくだりを七波が見守っているというのは良かった。オレンジのパーカーを着て、七波がすごく浮いて見えるのもよし。「桜の国」の役者では凪生がよかったな。
あと、「Diamond」を持ってくるのはちょっと良いと思いました。
せっかくなのでちっとアサマシ。 夕凪の街桜の国
14章まで終えました。 http://www.city5.org/programming_erlang.pdf
14章はソケットプログラミングをやりまして、 SHOUTcast サーバを実装したりしましたが、こういう風に動いてくれるものはやっぱりなかなか楽しい。こういう本にしては実例が豊富で実用的だよね(本気で実用するには負荷とか諸々の点で考えなきゃいかんことがまだまだ多いと思うけど……まあでもとにかく動く)。
ところで書籍と PDF ではページが微妙にズレるのね。なぜかというと PDF 版は目次のページ数も加えてカウントしているのに対して、書籍版は目次は別カウントになっているから。そんなわけで認証がややこしいことになっていますが、いちおう書いてあるようにページ数は書籍版のものとなっておりまして、PDF版をご覧の皆さんは指示されたページ数に9を足すとよいということになっているようです。
全20章のうちの14章ですからかなり終わりに近づいている筈ですが、ページ数的には真ん中ちょい過ぎくらいで、まだまだ「戦いはこれからだ!」な雰囲気。まあでも、ここからはきっと、長いサンプルコードが大量にあるのと、あと Appendix が長いんだよねぇ(全500ページ中、120ページくらいが Appendix)。
あのテッド・チャンの新作中編。たぶん、すぐに訳されるんじゃないかと思うけど粗筋もこみで紹介しよう。
物語全体は、商人がカリフにお話を物語るという体裁をとっており、舞台はアラブはバグダッド。バグダッドの市場に用のあった商人は、そこで不思議なお店をみつける。非常に奇妙な、しかし優れた技芸のものばかりを売るこの店の主人は、自ら錬金術師を名乗る。
錬金術なるものに疑いの目を向ける商人に対して、錬金術師が見せたのが「門」。何かリングのようなものだがこれが一種のタイムトンネルで、一方からたとえば腕を通すと、もう一方からは何も出てこない。そして数十秒後にリングの反対側から、さっき通したはずの腕が出てくるという次第。
そして、これは「秒の門」だが、20年の未来/過去とつながっているという「年の門」の存在を錬金術師は明らかにする。
というのがストーリーの前準備で、そこから、この「年の門」を使って過去や未来に赴いた者たちの顛末がぜんぶで3本、語られる。そして最後に商人自身が……というお話。
舞台は少し過去のアラビア(具体的にはバグダッドとカイロ)なのだが、雰囲気はファンタジイというよりはSF。タイムトンネルの設定もそうだし、過去と未来は基本的には変えることができず、起こった事象は変えられない(作中の言葉を使えば「アッラーの定めたもうたことは受け入れなければならない」)という設定がされており、パズル的というか、因果関係の狂ったような話がキモになっている。
ただまあ「よくある時間SF」といってしまえばそれまでで、特に藤子・F・不二雄の作品とよく似た感じがしていて「あーありがち」と思ってしまうのも確か。なにせアイディアとしては研究しつくされている分野だから、いまさら新しいことをやれというのは無茶な要求ってもんでしょう。ただ、話の骨格としてはありがちなんだけれど、読んでいてつまらないということはまったくなく、なかなか面白いですし、やっぱり結末はちょっといいんですよ。
だから悪くはないんだけど、「あなたの人生の物語」とか「理解」とかにはまりこんでしまった人達からすると、ああいうブッ飛んだところはないわけでぬるい作品と思われるんじゃないかな、などと思ったわけでした。オレは好きだけど。中おすすめ。
amazon のリンクも張っとくけど、 fictionwise で購入できる F&SF 誌の電子版でも読むことができる(2007年9月号)。ただお金と時間に余裕があるなら書籍版も悪くない。
The Merchant and the Alchemist’s Gate
さてそんなテッド・チャンですが今度のワールドコンで来日しまして、インタビューの企画も進行中ですから、ご期待ください。ってワールドコンのページみたらいまだに unable to attend になってるなあ。直せよ!
というわけで昨日で最終だった『喰いしん坊!』の映画ですが、最後の回で見てきました。
『喰いしん坊!』はフードファイトまんがで、たぶんもともとVシネだった企画が評判だったし賞もとっちゃったもんでとりあえずその辺で上映だけしといて映画ってことにしときましょう風であり、興味のある人は「意外にいいものだった」と書いておくのでビデオ(DVD)になったら見るとよろしいことでしょう。
さて。
この映画ですが、前編「大食い開眼編」と後編「大食い苦闘編」となってまして、まあ出来は安いんですが意外とよくできていたし、原作にかなり忠実に作ってあったのが意外だった。あれは飛ばすんじゃないかなー、と思ってたところもきっちりこなしていた。ちなみに「開眼編」は仙台の予選まで(3巻冒頭まで)で、「苦闘編」は仙台の大会で敗退したあと黒兵衛との戦いまで。
萩原流行のハンター錠二はかなりハマッていて、この人の妙にエキセントリックでアツいところがきちんと表現されているのはさすがという感じ。一方の満太郎は、「やりたいことがわからない」という今風な悩みをもつ若者っぽい風にアレンジしてあって、河相我聞のちょっと線の細い感じとよくあっている。OKFFの面々は、当然さすがにモデルな方々は出せないのだけど(まあお亡くなりになっている方もおりますよって)、無理に似せようとしないけど雰囲気は出ててよかった。
まあ、そういうメインな方々以外のただごとでない棒読みブリとかもあるけど、まあそれも込みでいい味ですわ。
ちょっとどうかなあ、と思ったところを挙げると、「熊田がハメられるくだり、原作ではふつうにテーブルで食ってたけど、映画では個室で食べていたのでうな茶の参四郎がやってくるところが不自然すぎる」「鳥飼の体操が単に肩をぐるぐるしてるだけにしか見えん」「田中五郎の名乗りがない!」というあたりで、とくに3つめはまったくいかがなものかと。
ああでも「うなぎにお茶ってそれひつまぶしじゃネーノ?」というツッコミに応えるかのようにだれが見ても邪道な喰い方をしてくれるのは確かによかった。
ちょっといいな、と思ったのは黒兵衛編が大きく変わってるところ。原作ではまだ若いアンチャンといった風の黒兵衛は映画では盛りを過ぎた白髪まじりのオッサンになっている。で、黒兵衛の過去として、「かつては漁師だったが仲間の船に衝突してその船の漁師は死亡、子どもには片足を失なうという怪我を負わせる」という設定を加え、父親を失なわせてしまった母子のために賭け大食いをして仕送りをしてやっている、という因縁になってました。いやまあ、はっきり言って物凄くベタな展開ですが、いーんだよ、オレはベタなのが好きなんだよ。満太郎がなぜか海岸でランニングしてると、その片足を失なったガキが「アイツ(黒兵衛)は父ちゃんのカタキの悪いやつだ!」とか言ったりしてさあ。んで満太郎が「オレはあいつと戦っていいのだろうか……?」とか独りつぶやいたりするわけですよ、まあそのあと5秒で「いや、おれはフードファイターなんだ!」と決意するんですけどね。決意早すぎ。
映画として上映したのは何かの気の迷いだと思いますが、このあともいこい食堂でラーメンマン+悪食三兄弟編とか、なごやでカレーうどん勝負編とか、空念vs尾暮太郎編とか、いくらでもやれそうな気がするんでVシネでもちょっと続いて欲しい、ような気も。