Archive for April, 2007

ライトノベルと児童文学

Posted by on Monday, 9 April, 2007

さて、先だって『七時間目のUFO研究』を買うために、本屋の児童文学の棚に行ったのだけれど、表紙はいわゆるアニメ絵というか、ライトノベルみたいなのがいっぱいあった。これはまあでも今にはじまったことではないと思っていて、もっと前からも状況は認識していた。

この流れをまとめている人はいないかな、と思ってぐぐってみて、http://d.hatena.ne.jp/yuzumuge/20070401/p1を発見。

日付は新しいけど、わりとちゃんと調べていている感じ。

以下は個人的な思い込み。

そもそもライトノベルというのはだいたい小学校高学年くらいから中高生までが主要ターゲットなのだけれど、現在の状況というのはそうではない方向にも伸びはじめている。作家もいろんな作品を書くし、読み手も多様化している……その結果として主要ターゲットに向けられたものは減るという一種の空洞化が起きていて、そこを埋めるような形でこのような「ライトノベル的児童文学」が出てきたんじゃないだろうか、とか。

空洞化なんておきてないでしょ、って言われたら「まあそうですかね」と答えるんだけれど、うーん、なんだろうな、昔のライトノベルってもっとジュブナイルというか、ふつうの児童文学っぽい雰囲気のものも結構あったと思うんですよね。そういうのは次第に消え去ってゆき、いつのまにか「ライトノベル」としか呼べないようなジャンルが成立していった、のだと思っているのだけれど、その発展過程で落ちていったモノがこの位置に落ち着いたんじゃないか、と思うんですよ。

まーしょせんは素人の思い込みですが。

しかしなんだ、ライトノベルというのは表紙などの体裁によって決まるところが大きいけれど児童文学かどうかというのはもっぱら内容によるところが大きいので、表紙がそれっぽくても中身はふつうに児童文学というのはありうる話です。読者に受け入れられやすくするために、絵柄は時代を反映する。内容も時代を反映するけれど。


twitterにユーザの作成だけはしてみたものの

Posted by on Monday, 9 April, 2007

友達がいない罠。

http://twitter.com/

いわゆるインスタント・メッセンジャ(MSN、AOL、.Mac、Skype、Google Talk、Jabber、などなど)には、ステータス行やニックネームを編集する機能がある。ふだんは自分の名前なんかを入れたり、「仕事中」とかのステータスを書き込む欄だが、そこにちょっとしたつぶやきを入れてみたり、それでちょっとしたコミュニケーションが発生したり。

twitterは、そういうコンセプトのものらしい。よく見る日記で先週くらいからちょくちょく見かけるようになっていたのだけれど「ふーん」という感じだったのだけれど。

やっぱりなんとなく、この名前のユーザを予約しとくかくらいの気持ちでアカウントだけ作成してみた→http://twitter.com/jmuk しかしなんというかこの、これぞまさに Friend がいないと成立しないサービスだな。どういう使い勝手なのかが、まだもうひとつわかってません。

さてどうしたものか。

あーそうだな、とりあえずココ読んで興味をもった人がいたら友達になってやってください。


indexingが止まらない

Posted by on Saturday, 7 April, 2007

Google Desktop の indexing は終わらないので、いったん削除してしまった。終わらないというか、基本的に監視をしていて新しいファイルが増えたらインデックスに追加しているステートに移行したのだろう。ロードアベレージもさして高くはないのだが、しかし不思議なことに様々なことのレスポンスが格段に悪くなった。たとえばプロセス(アクティブなウィンドウ)の切り替えや、シェルからのコマンド発行、タブ補完なんかのコストが高い。

なんとなく印象としてはディスクアクセス(というかIO?)が非常にしんどそうな印象で、そうなるとけっこうつらい。 indexing がディスクアクセスをわりと握っているからじゃないかと邪推するのだが……まあでもそれだけじゃウィンドウ切り替えが重い理由はよくわからないので、違うかもしれないけれど。

しかしまあ、 Spotlight は強いよな。まさしくOSに組込まれていることの強みだ。CDを差し込んだらそっちの内容も検索に上がってくるのは反則技に近いと思ったなー。

ただし個人的には Spotlight にあまり信頼を置いていなくて、それはなぜかというと Mail をちょっと使っていて、あるはずのメールが検索から出てこないというケースがあまりにも多くて、実用上の問題を感じたため。理由はよくわからなくて、そういうことを言っている人はほとんどいないのでこれも何かほかの問題なのかもしれないが、あんまり追求していないというか、よくわからない。 IMAP サーバに2つ繋ぐというあまり使っている人がいなさそうな構成なのだけれど、でもメールじたいはちゃんとローカルにもってきてるからねえ。


超常現象系2つ

Posted by on Saturday, 7 April, 2007

山本弘『超能力番組を10倍楽しむ本

著者が著者なので例によって例のごとくの本ではあるけれど、これまでのたとえば「と学会」の本のような各論(個別の番組を取り上げてヘンなところを指摘する)ではなくて、トピックごとの説明になっている。

子供でも読めるように楽しめるように、という構成で組んでいて、たとえば中身は少年と少女が超能力ってあるの、といった話をしているところに「パパ」が割り込んできていろんな話をするといった風。フリガナのふりかたとかを見ても、これまでの方法と違っており(と学会の本は「こんなヘンなのがある」というのが基本スタンスだがこれは違う)、面白かった。

実際のテレビ映像なんかもキャプチャして使っていてわかりやすく読めるのもポイント(というのももちろん本当は本に書いてあるからといって鵜呑みにしてはいけないわけだが)。それと「じゃあ超能力はないの?」という疑問に「あるかどうかは保留すればいい」と答えてみせたりバランスが取れているのもなかなかいい……ま、ちょっと「テレビなんか信用できない!」という発言が多すぎるかもね。

しかし本書を読んでただただ思うのはむしろ「山本弘の娘ってもうそんな年か」ということなのでありました。「パパ」はあからさまに作者本人で、娘のモデルがそうなのかは知らないけれど、奥付によれば娘にも読ませてチェックさせていたらしい。かつて『ファンロード』で、娘が生まれるんだか生まれたんだかといった投稿が載ったのも、確かにもう10年くらい前でしたか……。ううーむそうか……。

藤野恵美『七時間目のUFO研究

これは講談社青い鳥文庫の児童小説。菊池さんがブログで紹介してたやつです。

主人公のあきらは、友達の天馬といっしょにペットボトルロケットを作って、放課後に校庭で飛ばす実験をしていた。隣の学校と、ロケットの大会をすることになっていたのだ。ところが、その実験中、ロケットを追って空を見上げた天馬が、UFOを見たという。あきらには見えなかったが、ついそれを言いそびれてしまう。その場かぎりかと思えたその話は思わぬ方向に広まり、だんだんおおごとになっていく。新聞や怪しい雑誌の記者、TV番組や、その出演者のほとんど信者みたいな人たち。一方でクラスメイトも何人かがUFOを目撃したと主張しだす。自分は見ていないけれど、本当にあったことなんだろうか…?

でも、わたしは最初に予想していたのとは少し違って、これはUFO現象についての誤解やトリックがメインの話じゃなく、それが好印象。物語のポイントは超常現象そのものやその解明にではなくて、それに反応するいろんな人達の描写と、それを目にした主人公の思いにある。たとえば主人公は、上で書いたように友達といっしょにUFOを見たことになっているので、UFOはどんな風だったかとか、いろんなことを聞かれる。でも自分は見ていない。見ていないことを、言うべきなんだろうか。それにあれこれ言われているうちに、だんだん自分がちょっと見逃しただけのような気もしてくる。だが……。

>

「科学とは、わからないものをわからないと認めるところから、はじまる……。大学のときの教授がそう言ってたよ。」 >

「ぼくの学校の先生も言ってました。わからないことやまちがうことは、かっこ悪いことじゃない、って。」 >

「でも、人はわからないと不安だから、てっとり早い答えを求めてしまうんだろうね。」 >

「てっとり早い答え……。」 >

「ああ。簡単に理解できて、道徳的に正しくて、受け入れやすい答えを聞ければ、人は安心できるんだ。」 >

(一部中略、pp.188-189)

こんな感じのやりとりに至る。懐疑主義的、っていうのはそういう意味だろう。菊池さんは「スピリチュアルやニセ科学にはまる大人に読ませたいですよ。小学生はこんなのを読むんだよ。」とか書いてたけど、オレもそう思った。

いい本です。

この著者は「七時間目の〜」というタイトルをもつシリーズを書いていて本書は三冊目だそうだけれど、これは学園ものというのが一貫しているだけで、特に同じところが舞台とかそういうのではないらしい。ほかのも読んでみようかな。

ちなみにイラストはこの人かな。けっこういいですね。にしても前から思ってたけど、今の児童文学の挿絵ってけっこう、いわゆるライトノベルっぽいよなあ。いまよく売れているタイプのものではないと思うけれど、わたしが割と好きな感じのが多い気がする。そういえば蘇部健一の『ふつうの学校』(感想)も挿絵は羽住都だったしねえ(いわゆる「いい本」じゃないけど『ふつうの学校』はかなり狂った作品で、おすすめ。関係ないか。すまん)。


蘇部健一『ふつうの学校』

Posted by on Saturday, 7 April, 2007

蘇部健一といえば『六枚のとんかつ』で話題になったミステリ作家だが、本書は講談社青い鳥文庫。つまりは児童文学。いわゆるジュブナイル。どういう事情か知らないが、彼にジュブナイルを書かせようとした編集者は英断ないしは早まった真似をしたものだと思う。

基本的には「学校に赴任してきた先生がまるっきり型破りのデタラメな先生で……」という展開のお話で、であれば普通その先生は実はすごい先生であったり、本当は生徒のことを考えていたり、するのであるがそこは蘇部健一、そういうことはこれっぽっちもない。一見だめだが(ちょっとスルドイところは見せるものの)実はやっぱりだめ、というセンセイなのであった。無茶苦茶なことを言うけど実は筋が通っている、のではなくて、無茶苦茶に聞こえるけどよくよく考えてもやっぱり無茶、みたいなことしか言わない。

出自を気にしているのか編集者の注文なのか、いちおうミステリっぽいエピソードも挟みつつ、でもやっぱり先生は探偵役などではなかったりとか。

という構成もなかなか妙なのだが、そこはそれ、蘇部健一はそれだけの男ではない。

>

「先生、キリヤマ隊長って、だれですか?」 >

教室のどこからか声があがった。 >

「『ウルトラセブン』に出てくるキリヤマ隊長にきまっているだろうッ。おまえら、そんなことも知らないのか!?」 >

「知るわけないじゃないですかーッ。」 >

ぼくは、知っていた。

だの、

>

「そうだ、たしかに、さっきちらっと画面に映っていたのは『エマニエル夫人』じゃなくて、『続・エマニエル夫人』だった。だからおれは、テープにラベルをはらなかったんだ。」 >

「えっ、『エマニエル夫人』のビデオはたいせつで、『続・エマニエル夫人』のビデオはたいせつじゃないと言うんですか?」 >

どちらかというと『続・エマニエル夫人』のほうを高く評価していたぼくは、先生に抗議した。 >

「いや、『続・エマニエル夫人』のほうは、シルビア・クリステルの吹き替えを小原乃梨子がやってたんでな。」 >

「小原乃梨子って、『ドラえもん』ののび太の声をやってる人でしょう?」 >

「ああ。だから、肝心のエマニエル夫人のベッド・シーンで、なんだかのび太が悶えてるみたいで興奮できなかったから、ラベルもはらずにほっぽっといたんだ。」

だの(注: 舞台は小学校です)、

>

「ねえ、そっちの本はちゃんとなってる? ぼくのはなんだか、表紙と中身がちがうみたいなんだけど。それに、タイトルの書いてあるページが破りとられてるし……。」 >

「なんだ、そっちもか。てことは、先生はどうやら、男子全員にポルノ小説を配ったらしいな。」 >

「えっ?」 >

六さんの声が聞こえたらしく、前の席のマモルとヨシヒコもおどろいた顔でふりかえった。 >

「それって、本当?」 >

マモルがクリクリッとした目をさらにいっぱいにひらいてたずねる。 >

「ああ、だっておれのは、表紙は『長距離ランナーの孤独』になってるけど、中身はたぶん谷崎潤一郎の『卍』だから。」 >

「『卍』って、知ってる?」 >

マモルがとなりのヨシヒコにきく。 >

「さあ、ぼくはよく知らないけど……。」 >

ぼくは、知っていた(たしか、樋口可南子と高瀬春菜主演で映画化されていて、ビデオのパッケージにはかなりエッチな写真がのっていたはずだ)。

だの(注: 主人公も小学生です)、いろいろ頭がオカシイ展開も多いです。ある意味でたいへんユカイです。

それと、イラストレーションが羽住都なのだけども、内容とあまりにも乖離したこの美麗なイラストレーションの様子は筆舌に尽くしがたく、ファンは悶絶ないしは憤死は必至。決して読んではいけません。


imapキャラ・あいちゃん

Posted by on Friday, 6 April, 2007

http://www.imap.ne.jp/ ほほう

残念ながら(?) Inernet Message Access Protocol ではない。


Google Desktop for Mac 重い

Posted by on Thursday, 5 April, 2007

いやたぶん本体は重くないのだが、いつまでたってもインデクシングが終わらねえー。

メールメッセージだけで15万以上のファイルがあるからなあ。昼からはじめてそろそろ13万 files completed なのだそうだが、そろそろいったん電源を落とさないかん。いいのか? うーむむ。

しかしインデクシングの時間というのは、どうにもならんよな。


concatenative 言語は「検索しづらい名前をつける」という慣習でもあるのか

Posted by on Thursday, 5 April, 2007

オレンジニュースで取り上げられていた catJoy の方はチュートリアルくらいは読んでいたのだが、ちょっと遊んでみた。

MapReduce の例も読んだのだけれど、Haskellでポイントフリースタイルのみでスゲー頑張ってプログラムを書くのと似たような感覚があって「いや、そこまでせんでも……」という気がするのだけれど。

型があるというのだけれど(true が (->bool) なのはびびるな、というか矢印の前後に何もないと驚く)、 parametric な型はないみたいだし(リストは list でしかない)、 untyped なんていうものもあってどうなのかな。自分で定義したモノは untyped になっちゃうみたいなんだけど……。

>> define test : (->int) { 1 }

としておいても、 #defs のなかには、 test は untyped として見えていた。はて?

まあ、わりと面白い、頭の体操としては。それと、 mono でもふつうに動いたのは好印象だな(svn最新版は Graphics まわりでエラーが出たので、ちょっといじったが)。あとマスコット(?)がちゃんとネコに見える(笑)のも好印象(nekoVMと違って)。


pdumpfsでバックアップ+unisonで同期

Posted by on Sunday, 1 April, 2007

http://d.hatena.ne.jp/yoriyuki/20070401/p1
http://www.milkstand.net/fsgarage/archives/000984.html を読んだけれど、指摘としては重要だと思う。バージョン管理システムを使いはじめるには何らかのコストを支払う必要がある。ではメリットは何か。

履歴管理に対するファイルシステムによる対応といえば、 Plan9 のWORMなファイルシステムもあるし、次期 OSX に搭載されるというTimeMachineもそうですね。それならこれでいいという話がある。

で、現在のシステムで Plan9 風のバックアップをしよう、というコンセプトで開発されたのが pdumpfs だ。実行すると、年月日の名前のディレクトリに、ツリーを丸ごとコピーする。それくらいなら cp -a でも簡単にできるのだが、 pdumpfs は、以前の実行によってできたバックアップと中身が同じファイルの場合、ファイルをコピーせずにハードリンクで済ませる。だから、あまり変化のないものもいっしょにまとめて簡単にバックアップできるのがメリットだ(ただし、内容の比較をするから遅くなるという手がある)。 UNIX 風のシステムなら cron で一日一回やっておけば、かなり安全である。わたしはホーム領域ぜんたいをバックアップしている。その成果が生きたことは、いまンとこないけれど。

履歴管理のメリットである差分表示については diff -r を使えば済むし、あとはコミットログが残せないということくらいか。しかし個人用途じゃ大したログを書かない人も多いだろうし、簡便な用途では充分だろうと思う。

さて、バージョン管理というとき、現代的な意味では遠隔地との同期っていうメリットもある。 pdumpfs はローカルなディスクにしか書き込めないし、仮に遠隔地に書き込めたとしてもそれと作業ディレクトリの同期とは違う。

そこでオススメするのが unison。 unison はディレクトリを同期するためのツール。遠隔地との効率的なコピーというと rsync がすぐ思い浮かぶと思うけれども、 rsync は一方向の同期しかしない。つまり遠隔地からぜんぶ取ってくるか、遠隔地にぜんぶ持っていくか、しかできない。 unison は双方向に、どちらが新しいかを見て、同じ状態に持っていく。どのファイルをどっち方向にコピーするか、というのも GUI で対話的にできるし、CUIで対話的にもできるし、全自動にもできる。かなり便利である。

この pdumpfs + unison は、今の UNIX 風システムではけっこう現実的な解決策だと思う。

……と書いていて、ようやくバージョン管理システムがこれに勝る部分を思いついた気がする。第一にファイルの移動に対する対処。 pdumpfs はファイルの移動を検知できないから、ファイル名を変更したりするとその変化を追えない。 cvs(RCS) を除くバージョン管理システムでは、ファイル名の変更に対応していて、きちんと処理できるようになっているはずだ。

第二が、同一ファイル内の変更。同期したいファイルが中央で共有されているものと手元とでどちらにも変更が加えられているとき。もちろん同じ箇所を変更していたらコンフリクトの発生だけど、違う場所であればふつうはうまくマージできる。こういうのは、ファイル単位で同期するしかない unison や rsync では対処できない。

もちろん「個人用途」という状況を念頭に置くと、ファイル名の変更は運用でカバーする方法は幾らでもあるし、大雑把に覚えていられるだろうという話がある。第二の問題はほとんど起こりえない状況で、そういう場合には簡単に対処できるはずといえばその通り。

しかし、そういう「運用でカバー」する方法を考えるのがメンドくさいわけであり、そのためにバージョン管理ツールというのはあるのかもしれない。と、いうことなのかもしれない。

ところであれだ、 _new とか _org とか、そういうファイル名は気軽につけがちだけど、ほっとくとどれが何だかさっぱりわからなくなったりして混乱するので、やるならやはり、命名規則をきっちりしておくにしくはない。命名規則がかっちり決まったら、それに対応したスクリプトを書いて自動化すると楽で……とやっていくと、そのうちバージョン管理システムになるんじゃないだろうか。その手前にとどまっているのも楽だと思うけれど。

それにしても darcs でレポジトリから旧バージョンの特定のファイルだけを取り出す仕組みがないのは残念ですね。これはまったくもってそのとおり。


花見だった

Posted by on Sunday, 1 April, 2007

SFっぽい人たちと花見に入ってきた。

酒をいっぱい飲んだ。花見の席ではまだふつうだったが、そこを撤収して駅まで歩き二次会までの道程で体を動かしたからか、すごい勢いで酒が回り、頭が痛くなった。

それとは関係ないが、nikoli.com が猫なのは timedia の中の人の仕業なんだろーか。

まだ酔いがまわったままパズルを問いてもふだんと大して解く時間が変わらない(気がする)のは、酔ってるように見えて実は頭はきちんと回っているというべきか、いつでもそれくらい頭が回ってないと見るべきか。

……酔っていて解く時間の評価がふだんと違うだけか。すまん。やっぱり酔っているな。