をふと思いついた。
>カッコを心に感じ、マクロの力を手にする算法、Lisp。Lispに相対する二つの流派あり。
>一つ、すべての方言を含もうとする包括主義 common lisp。一つ、シンプルさを身上とするミニマリスト scheme。
>諍う宿命のハッカーたちは日々、高みを目指して、学び、変わる!
……2行目の不出来がもう少しなんとかしたいですね(誰にともなく)。
をふと思いついた。
>カッコを心に感じ、マクロの力を手にする算法、Lisp。Lispに相対する二つの流派あり。
>一つ、すべての方言を含もうとする包括主義 common lisp。一つ、シンプルさを身上とするミニマリスト scheme。
>諍う宿命のハッカーたちは日々、高みを目指して、学び、変わる!
……2行目の不出来がもう少しなんとかしたいですね(誰にともなく)。
http://homepage3.nifty.com/mogami/diary/d0702.html#13t2
>lispを括弧だらけで見づらいという人は多い。私も、最初はウエッとなったが、すっかり見なれてしまった。しかし括弧が問題なら、なぜもっとヒドいXMLがあっさり普及したのだろうか。
まつもとさんはXMLも嫌いだと公言してはばらからないよね。やっぱり態度としては一貫性があるな、と思う。
でもまぁ、ようするにカッコだらけで嫌だというのは、パッと目につくからよく言われるのとまつもとさんが言っているだけで、本質的じゃないってことだな。けっきょく Lisp は「人工知能の研究用の」「非実用的で遅い」言語だと、いまだに思われているのがネックなんだろうと思う。
思われてるって誰に、っていうと、印鑑を持っている人に。捺印ナビリティというやつですね。似たようなモンなのに不幸なことだ。
あるいは逆に「頭の良い人向け」「すごい人向け」というイメージは、若い人には与えられていて、あの謎めいた call/cc パズルなんかもその印象を助長している気がしてあんま良くない気がする。もっとカジュアルに Lisp をさくっと使ってみせるといいんだろうけれども。
ところで、わたしはS式はすでに慣れてしまったが、XMLにはどうにも慣れる気がしない。わたしの態度は一貫していない。
逆に考えて、似たようなものであるなら、XMLっぽい書法のLispっぽい言語というのはどうだろうか。どうだろうかと言われてもという気がするが……。
今年もSFセミナー、やります。ちょっとあれこれあって、告知をし忘れてしまった。
えっと、たぶんそういうのをあんまり知らないであろう人もいっぱい読んでいると思われるので簡単に説明します。
SFセミナーは1980年から、東京近郊にて5月のゴールデンウィークころに、SFファン有志によって開催しているイベントです。むろんわたしが当初から関わっているわけではなく、というかむしろかなり新しめのスタッフです。
どういうイベントか。ホールを借りて、SF作家、評論家といった人を招き、インタビュー、講演、パネルディスカッションなどを4つくらいやります。また、希望者を募って本郷にある「ふたき旅館」という合宿旅館を借り、こちらは夜中まで企画をいくつかやります(合宿企画と呼んでます)。
合宿に対するお昼の方を「本会」と呼びますが、今年の本会企画は、ボトムズで有名なアニメ監督の高橋良輔氏をお招きし、インタビューをやるのと、新井素子などの作家を排出したことでも有名な個性的なSF雑誌『奇想天外』について、当時の編集長曽根忠穂氏を招いてふりかえる、という企画の2本が現在、予定されています。また、未確定なので掲載していませんが、これに加えてさらに2本の企画が進行中です。
合宿の方は、半分くらいお遊びみたいなものですが(真面目なものもありますが)、余力があればゲストの方とじかに話したり、といったこともあるかもしれません。
日程は、例年と異なり4月29日、場所は例年同様、東京・お茶の水の全電通労働会館という場所です。どうでもいいけど場所は RubyKaigi 2007 と同じところ(いや、いい場所ですよってオレが教えたんですが(笑))。また、進行中の企画など、このほかの情報も↑のページに随時追加していく予定です。また、昨年以前のやった内容なんかも載っています。興味があればぜひともよろしくどうぞ。
ま、事前にチケットを買わなくても、当日ふらっと来ていただいてぜんぜんオッケーなイベントなんですけれど。
http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=20616掲題の本は復刊.com で交渉してるよね、という話をこないだ RHG 読書会で arton さんが言ってたのを、日記で取り上げていて思い出したので投票した。
興味があったら投票してみるといいと思うよ。まっ、おれは持ってるんだけどね。
……持ってるだけでさっぱり読んでませんすいません。
読み途中だけど、これはすごくいい本……かもしんない(読了でないので留保しておく)。
ブルース・シュナイアーといえば、知らん人はいないと思うがいちおう説明しておくと、とっても有名なコンピュータ・セキュリティの専門家(うう、我ながら説明になっとらん。でもよく考えたらそんなに詳しいことをオレは知らん)。で、そのシュナイアーの本でこういうタイトルだから、まあそういう話なのかな、と思ったけど、ぜんぜん違った。
本書は、もう少し広い観点で「セキュリティ対策」というものごとについて考える本になっている。
>本書では、私の専門であるコンピューターセキュリティ分野で開発された方法を現実世界に適用してみたい。コンピューターの世界で有効な概念や考え方、ルールは、現実の世界にも基本的に適用できるし、適用すべきものだと思う。(p.8)
そういう本である(でも私が読んでる8章までの段階で、明確にコンピュータセキュリティからの援用は特にない気がする)。
セキュリティの対策というのは、トンチンカンなことになりがちだ。コストを度外視したり、例外的な物事の対策に気をとられて有効な対策が取られなくなりがちだとシュナイアーはいう。
「セキュリティはトレードオフ」である。コストとリスクを見定めて、コストを失なわないように、効果的にリスクを下げるのが望ましい対策なのであって、完璧なセキュリティはない。いや、たとえば無人島に独りで住むといった対策によってある種の問題へのセキュリティは完全となる。しかし、そうした極端な対策が非現実的で実行不能なのはすぐわかる。ということは、実施する対策のコストと、その効果を見定めないといけない。ところがこれが難しいと著者はいう。
その理由がとして著者が挙げる内容が、原題 Beyond Fear – Thinking Sensibly about Security in an Uncertain World に込められている。人間は恐れや感情、思い込みによって簡単にコストを見誤る。また、リスクは確率的で不確定的だ。たとえばハイジャック犯が飛行機を乗っ取る事件があると警備に穴があったことがわかるが、そういう犯行が起きてないとき、単に狙われなかっただけなのか、対策がしっかりしていたから未然に防がれたのかがよくわからない。だから、ある対策を取るときには、そのコストと効果の程度を冷静に考えて判断しないといけないわけだ。
それこそが著者の主張である。
そういうわけで、シュナイアーの本だけれども、コンピュータ・セキュリティに興味のある人間というよりは、もっと広く一般にリーチした方がいいタイプの本だと思うよ。
えーと、いろいろあって移行しました。見た目はあんまり変わってないと思うけど、微妙にあちこち変わってると思います。
最近、日記の更新が滞っていたのは、ひとつにはご多分にもれず『世界樹の迷宮』をやってたからなんですが(笑)、もうひとつはこういうことをやっていたので、微妙に更新する気が失せていたからなのでした。
今後ともよろしくお願いします。
なお、旧URLからもリダイレクトしていますが、新しいRSSは http://www.jmuk.org/diary/rss となります。以前のようにしょぼい体裁では(たぶん)ないと思うのでよければどうぞ。
なんかなぁ、ちくま学芸文庫ともあろうものが、という気が……。
いいんだけど、いいんだけどさ……。だいいち萌えとかはこの小説にはないよ。ま、それとは関係なく上質な児童文学の面白さがありますけどね。
lingr API の公開から速攻で ruiさんが Gauche バインディングを作成し、今日になってボットを作成・Gauche roomにて公開したところ、ボット祭が大発生中。
なかなか楽しい。
祭の開催から見たい向きには http://www.lingr.com/room/gauche/archives/2007/02/05#msg-1315941ここから。
桜庭一樹の新境地を拓いた力作。ってところだろうか。でもわたしとしてはあまり肯定的ではない。
戦後の日本を舞台に、古来からつたわる鉄鋼業を受け継ぐ鳥取の旧家「赤朽葉家」の面々をマジックリアリズム的に(というか『百年の孤独』っぽく) 描いた作品、といったところかな。確かに、奇妙な名前の登場人物たちはどれも一種独特の奇妙な魅力を供えていて、筆者の筆致が生きているという印象があり、面白い。
残念なのは、戦後の日本史描写。時代描写が、なんというか、非常にうすっぺらい。いかにも紋切り型の表現で、なんともしょぼい。あまりのことにガッカリして読むのをやめる人がいてもやむなし、というくらい。
ところが、そのような時代を描いてきた第1部、第2部と比べて、第3部=現代となり、物語は印象をガラリと変える。年代記、列伝といった印象を与えたこれまでとまったく違った話が展開されるようになる、というだけでなく、語り手はなぜ、どのような意図をもってこの物語を書いたか、読者はどのような視点で読むべきだったか、ということが意味付けられ、物語全体の構造が切り替わる。その転回は上手くて、唸らされる。
そいでまた、この本の書き手である第3部の主人公、赤朽葉瞳子は1989年生まれの若い女性であるということからして、ひょっとするとあの浅薄な印象を与える描写も意図的に選択されたことなのかもしれない、という気はする。ただその割に登場人物には時代にあったような言葉づかいでしゃべらせたりといった気遣いは見せているわけで、やっぱりちぐはぐな印象を受けるのだけれど。
なにより、個人的には、これまでのような神話的な、魔術的な物語がそのような方向に切り替わったときに「けっきょくそういう話なのか」とちょっと落胆してしまった。切り替わった先が途轍もなく面白ければオッケーだったのかもしれないけれど、なんというか、ふつうに面白いんだけどそれだけなので、そんな仕掛けをするほどのことか、という気もするのだね。
でもまあ、そんなに悪いものではないです。面白いよ。
かの福音書、ようやく入手しましたよ。「空飛ぶスパゲッティモンスター教」の教えや実態についてはウィキペディアの記事が参考になる。
いやもう、本の内容の素晴しさはわかっていたわけですが、いやー訳がいいね。実にワカッテル訳である。
その訳の良さについてあれこれ言うのは引用箇所を探すのが面倒なので省くが(でもやっぱり一例を挙げるとブドウ球菌という高度なギャグはかなりおかしかった……が、これがなぜ笑えるかは本文を読んでのお楽しみ)、とりあえず訳の良さを示す一例として、空飛ぶスパゲッティモンスターは本家では FSM と略されているのだが、これは日本人の読者には馴染みづらいだろうと「スパモン」という略称を考案・使用するだけでなくその旨きちんと著者の許可を得ているあたりの素晴しさである。
ラーメン