>ところで、僕が「特異点」はなぜ起こらないと考えているかというと、「人間以上の知性」なるものを「設計」するのは不可能だと思っているからだ。人間より優れた知性の設計図は、人間の知性では本質的に理解不能なのではないか? あらゆる知性が、自分より優れた知性を設計するのは不可能では? すると特異点なんて起こりえないということになる。
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>偶然によってそのような知性が生まれてしまう可能性がある。また、ヴィンジは人間と機械の融合や、「集合知性」というキーワードでこの辺をクリアできると考えているようだ。確かに量的な融合が質的な変化をもたらす可能性も否定はできないのだが、起きても「特異点」と呼ぶほどではないのではないだろうかと思う。
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>もちろん、人間と同程度に賢く、かつ人間より思考速度が速いものを作ることは可能かもしれない(それについてはこの『考える脳〜』に書かれている)。ただ、ヴィンジはそういったものを「弱い」超人と規定し、特異点には関係ないとしている。確かに速いといっても限度があるので「特異点」というほどの現象にはならないのではないかという気がする。
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>いずれにせよ自分の考えも所詮は「〜と思う」とか「〜な気がする」というレベルの反論しか思いつけていないのだが、どちらかというと、人間と同じくらい賢くて人間よりずっと思考能力が高い機械が完成し、人間の時代は終わるかもしれないが、「特異点」は起こらず一種の平衡状態に達し……みたいなある種のディストピアとかの方がありうるんじゃないかなあと思っていながら訳していたら野尻抱介の「素数の呼び声」が掲載され(アンサンブルの Void WhichBinds に訳が載った頃の話)、非常に大雑把に括るとそんな感じの設定だったのでちょっとびっくりしたこともあった。まあSF的にはそういう設定の方がスリリングだというのはあるでしょうがね。「素数の呼び声」は、アメリカのいわゆる「シンギュラリティ作家」どもに読ませて感想は聞きたいもの。
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>当人が訳しながら「特異点は無理じゃろう」と思ってたのに
>こんな
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ことを言われたら読まないわけにはいかないじゃないか。いやまあもともと興味はあったのだが。
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>というわけでようやく読んだ。これは面白い。掛け値なしに面白い本だし、いちおう人工知能っぽい研究はやっている身としてはいささか身につまされるというかこう……なんだろうね。まあ、面白かった。内容も「なるほどなあ」と思えるもので、あまりにも本当っぽいので逆に疑わしく思えるくらいに本当っぽい。一般書ということで詳細が明かされていないのも「逆に怪し」く思える一因かもしれないが。細かいところも気になるよ。
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>原文も良いのかもしれないけど訳も読みやすい。さらっと読めるが、しかし中核のコンセプトはきっちりわかるように解説されている。それでも6章は前書きで註釈が入るくらいにはわかりづらいというか入り組んでいるというか、まあ、これは仕方ない。
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>もとの英語版にあったという「英語の読者向けの参考文献」と「理論を実験によって検証するための仮説」が省かれている点は大きなマイナス。ってかなんで省くのか意味がわからない。
>出版社のこの本のページ
>
からどちらも日本語訳されたものをダウンロードできるので見るといいよ(自分はこれから見ます)。日本語訳がされているということは「専門家向けだから」という理由で編集者判断で削られたということだろうか。だとすればこんなに人を馬鹿にした話はない。ちらっと見ると、参考文献といっても、専門書籍にあるような出典を列挙するものというよりは、著者の主張を補強するような、この分野についての包括的な理解を得るための書籍や論文の紹介といったもので、本については邦訳もあったりするし、これは必須でしょう。
>
>例の
>水玉潰し
>はちょくちょくやっているが
>ここ
> で挙げられている中央からの突破は試していなかった。やってみたら31まで行きました。ほほう。これまでのベストは20くらいなので躍進です。
>
>そのリンク先に書いてある以外の方針としては「序盤には無理につなげない」ということですかね。特に、このゲームでは水玉が3の倍数個潰れたときに残弾が1増えるので、4コとか5コとか潰すのはまったくの無駄。どうしてもそうなっちゃうのは仕方ないけど、可能なかぎり3コだけ潰れるような連鎖を(中央で)組んでやる。そうしているとだんだん全体的に太ってくるわけで、いずれどう足掻いても巨大な連鎖が発生せざるをえなくなる。そこでイッキに連鎖して大幅に残弾を稼ぐ。これをカオス理論ではカタストロフといいます(違。
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>でまあ、この方針はけっこう優良なようで(中央から、という視点がそれまでは抜けていたが)そこそこ上手く行くのですが、レベルも20台になると、全体的に水玉が小さくなっているために「3コ潰し」の収支が合わなくなってきてジリ貧という結果になりました。どこまで通じるかは微妙なところですが、適当なところでこの方針を取ったり取らなかったり、という転換をする必要があるということでしょうね。
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>ところで「いわみて」が雑誌に載るとかいう噂があった気がしますがどうなったんでしょう。
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