反対の立場から

This entry was posted by on Monday, 28 November, 2005
>ちょっと逆の立場から考えてみよう。ここに一冊の本がある。この本によれば、 >1つ >5つのパンと >1尾 >2匹の魚で >6000 >5000人の腹を満腹にしたであるとか、一夜にして世界が水没しただとか、死んだ人間が3日後に生き返っただとか、驚くべきことがたくさん書いてあるのだ。それだけでも信じられないが、この本は世界中で愛読されていて、特に欧米では道徳教育と分かちがたく結びついているのだ。もちろん、欧米人のみんながみんな、こういったことが実際に起きたことだと信じているわけじゃなくて、これはある種のそう、比喩だと思っている。けれども、結論としてこの本に書かれた思想はすばらしいものなので、むしろ積極的に道徳教育に使うべきだと思っている欧米人は多い。とんでもないことだと思わないか。結論が正しければ科学的に誤っていることを教えてもいいのだろうか? > >もちろんこれは聖書のことだが、このように取り上げるとわかるように、ありようは『水からの伝言』と非常によく似ている。では、キリスト教は問題ではないのか。問題でないなら「水伝」は何が問題なのか。 > >キリスト教は(それなりに問題があるにせよ)、それほど大きな問題ではない。すくなくとも「水伝」とはありようが異なる。なぜか。 > >第一に、それはキリスト教が宗教であり、「水伝」はニセ科学だからだ。 > >江本インタビューにもあるように、「水からの伝言はポエムだと思う。科学だとは思っていない」と江本は主張している。にも関わらず、「科学的に証明されていくと思う」という主張があって、実のところは「現代科学では証明されていないけれどもきっと正しい科学っぽいナニカ」を装っている。これが実に狡猾だ。何が狡猾かといって、そうすることで科学者の批判を封殺しているのだ。科学者はどんな批判をしようと「今は科学ではないからね。これから証明されるでしょう」と言えばいいからだ(普通は証明してから発言するのだが)。また、自身では「宗教ではない」と言いつつ「祈りによってハリケーンを消すことができる」という主張しているのも冗談じゃない。 > >もちろん、宗教には宗教の問題があるわけで、ニセ科学じゃなくて宗教だからいいというわけではないだろう。が、まあ、水が心を理解するなんて思っていないけれど、でも何かに向かって「ありがとう」と語りかけることが自分の心にとって重要になる、と言われたら、「そりゃまぁあなたはそうかもしれませんね」というしかない。鰯の頭も信心というし。水の結晶も信心、というところかな。あっ、これ、「旗を掲げる」のキャッチフレーズにどうかな。 > >もうひとつ指摘することがあれば、聖書の超常的な描写と、現代的なキリスト教の道徳観はすでに切り分けられているということだろう。キリストは3日後に復活したから敬われているわけではなく、「汝の敵を愛せ」といったような思想によってキリスト教はここまで広まっている。『水からの伝言』では、「水が綺麗な結晶を作るから」という、非科学的な部分と話の根拠が分かちがたく結びついている。だから道徳に使うのには反対したいのだ。 > >というところかなあ。 >

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