>ちょっと逆の立場から考えてみよう。ここに一冊の本がある。この本によれば、
>1つ
>5つのパンと
>1尾
>2匹の魚で
>6000
>5000人の腹を満腹にしたであるとか、一夜にして世界が水没しただとか、死んだ人間が3日後に生き返っただとか、驚くべきことがたくさん書いてあるのだ。それだけでも信じられないが、この本は世界中で愛読されていて、特に欧米では道徳教育と分かちがたく結びついているのだ。もちろん、欧米人のみんながみんな、こういったことが実際に起きたことだと信じているわけじゃなくて、これはある種のそう、比喩だと思っている。けれども、結論としてこの本に書かれた思想はすばらしいものなので、むしろ積極的に道徳教育に使うべきだと思っている欧米人は多い。とんでもないことだと思わないか。結論が正しければ科学的に誤っていることを教えてもいいのだろうか?
>
>もちろんこれは聖書のことだが、このように取り上げるとわかるように、ありようは『水からの伝言』と非常によく似ている。では、キリスト教は問題ではないのか。問題でないなら「水伝」は何が問題なのか。
>
>キリスト教は(それなりに問題があるにせよ)、それほど大きな問題ではない。すくなくとも「水伝」とはありようが異なる。なぜか。
>
>第一に、それはキリスト教が宗教であり、「水伝」はニセ科学だからだ。
>
>江本インタビューにもあるように、「水からの伝言はポエムだと思う。科学だとは思っていない」と江本は主張している。にも関わらず、「科学的に証明されていくと思う」という主張があって、実のところは「現代科学では証明されていないけれどもきっと正しい科学っぽいナニカ」を装っている。これが実に狡猾だ。何が狡猾かといって、そうすることで科学者の批判を封殺しているのだ。科学者はどんな批判をしようと「今は科学ではないからね。これから証明されるでしょう」と言えばいいからだ(普通は証明してから発言するのだが)。また、自身では「宗教ではない」と言いつつ「祈りによってハリケーンを消すことができる」という主張しているのも冗談じゃない。
>
>もちろん、宗教には宗教の問題があるわけで、ニセ科学じゃなくて宗教だからいいというわけではないだろう。が、まあ、水が心を理解するなんて思っていないけれど、でも何かに向かって「ありがとう」と語りかけることが自分の心にとって重要になる、と言われたら、「そりゃまぁあなたはそうかもしれませんね」というしかない。鰯の頭も信心というし。水の結晶も信心、というところかな。あっ、これ、「旗を掲げる」のキャッチフレーズにどうかな。
>
>もうひとつ指摘することがあれば、聖書の超常的な描写と、現代的なキリスト教の道徳観はすでに切り分けられているということだろう。キリストは3日後に復活したから敬われているわけではなく、「汝の敵を愛せ」といったような思想によってキリスト教はここまで広まっている。『水からの伝言』では、「水が綺麗な結晶を作るから」という、非科学的な部分と話の根拠が分かちがたく結びついている。だから道徳に使うのには反対したいのだ。
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>というところかなあ。
>
>『水からの伝言』関係の記事目的。内容は、まぁ
>菊池さんのブログ
>
を愛読している僕らからすれば、とっくに知っていることばかりという言い方もできるかも。しかし2ページだし、コンパクトによくまとまった記事だと思いました。
>
>道徳を語るのに「水が綺麗な結晶を作るから」というのはまったく理由になっていないと思っている。そんなことを拠り所にしなくても、「ありがとう」という言葉はいい言葉だろうし、道徳の教育をする必要があるだろう。というのが僕の個人的な意見です。
>
>でまぁ、記事じたいは「なかなかよく書けていますね」という感じなのですが、この記事のポイントは『水からの伝言』の著者である江本氏のインタビューが掲載されていることで、これがかなりスゴい。言い尽くされていることだけど、やっぱりついツッコミを入れたくなるので、一部を抜粋しつつコメントを残す。
>
>
>科学で分かっていることはほんの数%。95%は分からない。今後、周りの研究者によって科学的に証明されていくと思う。
>
>
>確かに科学で万物が解明されているわけじゃない。それが何%なのかも僕は知りません。けれど、『水からの伝言』の内容はすでに100%が解明されている。それをひっくりかえすのにはそれなりの言葉を費して、何が足りていないのかを説明しないといけないだろう。
>
>自身で科学ではないと明言しておいて「今後は科学的に証明されるかも」という逃げを打つのは卑劣な説明でしかないと思う。
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>
>撮影者には、こういうことを水だという情報を与えている。水は心の鏡だという。撮影者の意識が働いてきれいなものになるということはある。それは別に非科学的ではないと思う。量子力学の世界ではそうなっているようだ。
>
>
>……えーと、撮影者の「綺麗なものが写るハズ」という考えなどが意識的/無意識に作用していると認めてますよこの人!? ええー? 「量子力学の世界ではそうなっているようだ」もポイントが高いです。ようだ、って。とりあえず量子力学=なんだかよくわかんなくて意識とかも絡んできて難しそうなもの、というイメージがあって、とりあえず量子力学言っときゃええやろとでも思っとるのかなあ。
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>波動の理論は、僕の中では常識。著書に書いた「体内にある108の元素が108 の煩悩に対応している」ことも常識だ。常識を発表していけないことはない。
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>えーと、自然元素は108個もないし、体内にある元素はもっと少ないし(この人は自分の体内にウランとかがゴロゴロしていると思ってるのだろうか?)、逆に元素の数自体は今じゃ108よりずっと多いですが何か? というかもうどこからツッコミを入れたらいいかわかんないですよ……。
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>もちろん、常識でないからといって発表していけないことはないので、江本の常識であるかどうかは正直、どうでもいい。
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>まぁでも、どっちかというと、真に受けて(かどうかはさておき)学校の情操教育に使っちゃう層とか、つい映画の主人公に「水は生きてるんだ」とか口走らせる映画製作者とかの方が問題大きいかも、と思わないでもない。
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>なんというか、「++ありき」で話を進めているのがまったく不可解というか面白いというか。あんたらそんなに++欲しいですかと苦笑したくなります。発想が逆になっちゃってるんだよね。「なんで++がないんだ!」という。
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>まぁ欲しい人にとって++が必要なことはあまりにも自明なことなんだろうけれど、逆に「なんでわざわざ++を追加するか」という説明方法でないと、説得はできないだろうな。
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>僕も Ruby を学びはじめた当初は++がないことに激しい違和感を感じたものですが、ま、なくていいんじゃねぇかな。
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