土山しげる『食キング』に見るジャンプ的な「話のヒキ」

This entry was posted by on Friday, 25 November, 2005
>途中まで読んだ。なんという80年代ジャンプ的展開なのだろう。「このホテルの再建はすでに成った!」発言にはさすがにシビレました。報酬金はどういう風になったのだろう。 > >いま、コンビニ売りの廉価版で序盤のほうは販売されているので、実際そちらで確認されると良いでしょう。 > >基本的には「愛の貧乏脱出大作戦」であって、寂れてしまったB級料理店を、函館の一流レストランのシェフ北方歳三が的確なアドバイスで導いていく……話なんだけども、ここで言いたいのはそういうことではないのです。 > >物語はやがて、もともと函館で北方がオーナーシェフを勤めていた「五稜郭亭」の問題にシフトしていき、また物語のテーマも、「料理には腕だけではなく心が必要」という話になっていきます。それはいい。 > >しかしだな、1つのエピソードが終了するたびに「それで北方さん、次はどちらへ……?」「うむ、函館だ!」という会話を5回くらいやる(そのたびに途中で違うのに巻き込まれる)という展開はいかがなものかっつーかどうなんだ。 > >ほかにも、料理雑誌の女性編集者であるとか、偽の再建請負人であるとか、今後の展開に絡みそうなキャラを出してはみるが、読者の反応が芳しくなければ速攻でなかったことにしてしまう強引な手腕など、ジャンプが90年代に切り捨てていった「行き当たりばったりかもしれないがとにかく強烈な話のヒキ」を多用しているのが、なんとも不思議な味わいになっていて楽しい。その際たるものが「このホテルの再建はすでに成った!」という発言でありまして、これはなにかというと、ホテルの再建をかけて、4つだか5つだかあるフロアの料理人と主人公がなぜか対決するはめになったのですね。で、2回くらい戦ったあとでこの発言。「残りの店には大きな問題はない」とか抜かしてホテル編終了ですよ。これには久々にびっくりしました。 > >まあたしかに、大風呂敷を広げてみたものの畳めそうになくなったらスッパリ切る、というこのやり方はあまり褒められたものじゃないのだけれども、これってある意味では、物語を自分で考えるだけでよしとせず、読者の反応を見ながら物語を作っていくという、まさに本作の主人公の料理の姿勢と一致するところが……あーすまん褒めすぎだ。 > >まぁキラクに読めておもろいですよと。 > >これだけだとなんなので、まんがのテーマについても一言。「料理は心」というのは、そこそこ続いた料理まんががつい到達してしまうアリガチな結論なのですが、これは下手に手を出すとそれまでは愉快だった料理まんががいきなり駄作になってしまう両刃の剣です。 > >料理には心がこもっているべきだというメッセージを否定するのではありません。心のこもった料理の方がいいということも正しい。とはいえ料理には上手い下手があるわけで、下手でも心がこもっていた方が美味かというとそうではないのは誰しも知るところです(もちろん、下手でも心がこもっていた方がいい、という人はいるでしょう)。 > >「料理は心」というときは、そのまんがでは料理のアイディアを作者が考え出せませんでしたというシグナルだとも言えます。でなければこんなことを書くまんがは、まずありません。もちろん、心のこもった料理とそうでない料理があり、そこにどのような違いがあるか、ということをまんが内で表現できていればすばらしくなるかもしれないのですが。 > >『食キング』はその「どう違いがあるか」の表現が上手い。このまんがには、技術があるばかりに客をナメきった(しかし技術はあるので出てくる料理はウマい)料理人がたくさん登場します。主人公の北方も技術はあるがそれだけではなく、その料理が客を思う心に裏打ちされているという対決になっているわけです。多くの料理まんがの失敗はここにあり、多少は下手であっても心のこもった料理の方が、という展開になることが多く、それもまぁ時には悪くはないのかもしれませんが、心がこもっているからこそこの料理になる、という表現が上手くないわけですね。一方で『食キング』は、自らの料理を「作品」と呼ぶ料理人が超高級食材でつくるステーキに対して、客の出自や体格から一品一品料理を変えてくる(しかもそれぞれがキチンキチンと美味い)という北方に軍配が上がる、というような表現が実に上手い。また、おにぎりの時には、「型を使っているのはダメ」としつつ「心をこめて握ればよい」でもないところに到達できたのはこのまんがならではでしょう。 > >まぁでもDDRでうどん足踏みであるとか、スーダラ節は2分48秒であるとか、ベースはそういうまんがですけどね。 >

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