森見登美彦『四畳半神話体系』

This entry was posted by on Sunday, 2 January, 2005
>この本には、小津という男が登場する。この小津という男が、どうにも私の友人のとある人物を想起させる。客観的に見ると、さして似ているわけでもないのだが、私が読んでいる時、なぜか彼の顔がちらちらと浮かんできた。 > >このように書いたところで、おそらく彼は自分のことだとは気付いてすらいないだろうし、もしそう指摘されたとしても、驚き、あるいは呆れ、そしてどこが似ているのかと糾弾し、ひょっとすると私の方が小津に似ている、と事細かに指摘するかもしれない。が、そのような人物であるからこそ似ていると断ずる道理である。 > >あの男が、作者の森見氏と知合いという話は寡聞にして聞かないのでおそらくモデルとかそういう類でないことは間違いないが、そうすると、彼のような人間はごくありふれていて作者が自分の身近の人間をモデルにしたのか、もしくは作者が想像力の限りをつくしてこのようなキャラクターを創造したのがたまたま似てしまったのか、どちらかだろうが、どちらにしても不快な話である。 > >そういうわけで、またしても他人事でないような妙な感覚を味わったわけであるが、にもかかわらずこの本に不平感を感じるとすれば、私には明石さんに相当する人物に心当たりがないということであり(師匠や城ケ崎氏や羽貫さんについてはひとまず措く)、まったく世の中というのは虚構に比べると不公平である。『太陽の塔』は、そのような不公平な世界を描いていたが、この作品も同種に見えて、実は違うのである。森見氏も所詮はその程度ということであろう。 > >そもそも、大学に入って、入るサークルに4つの選択肢があり、どの道を選んでも主人公は後悔し、ああこのようなサークルに入り、小津のような男に出逢ってさえいなければ、薔薇色で有意義なキャンパスライフを歩んでいたやもしれぬ、と妄想するわけである。4つの物語があって、ようするにどのサークルに入ったか、で違う展開になるわけであるが、結末はようするにハッピーエンドである。いったいどうなっているのであろうか、と思うわけである。 > >どちらかといえば、作者の意図は、個々の物語の間でそれぞれの小道具が微妙に関連しあうという、この構造の方に注目してほしかったのではないかという気はするし、それはそれで面白いのであるが、それならいっそ『太陽の塔』をやや彷彿とさせるこのような語りの、このような物語はやめてほしかったと意見したいところである。 > >それから、基本的には同じ物語で同じ結末を迎えねばならぬため、いささか強引に収束するエピソードもあった。まったく個人的な意見ではあるが、もう少しエピソードとして自然な方が私としては好みである。折角の明石さんというキャラクターがちっとも生かされていないように思うのである。 > >それはそれとして、個人的には、自虐的代理代理戦争が一番好きだ。 >

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