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2008/10/12 京都行

かれこれ8年ほど、毎年この時期になると京都に行くのだが、ほとんど観光したためしがない。というのは目的が京都SFフェスティバルだからなのだけど。ということで今年も行ってきた。

今年の実行委員長氏は独特のテンションの持ち主で、SFセミナーでも「今年の京フェスは変わります! 第一に、ビールが出ません!」と主張をして「最初がそれかよ」と各方面からツッコミを入れられていたが、いざ本番でもそのテンションを発揮。学生らしい手際の悪さが組み合わされていました。

1時間目(笑)の眉村卓インタビュー。デビュー前から今にいたる道筋を見て、その時その時の眉村さん本人の思ったこと感じたことを語り起こす好企画。かなり楽しめました。

2限目は瀬名秀明と円城塔に、八代嘉美を加えた三者による「新・生命とは何か」。少し前にあった三省堂のイベントと違い、瀬名さんと円城さんのあいだの溝を両側から確認していく作業といった雰囲気。和気藹々としながらもけっきょく平行線、みたいなよくわからない雰囲気であるが、なかなか楽しい。

3コマ目は、創元より12月上旬に刊行予定の『年間日本SF傑作選』を紹介する企画。このアンソロジーの企画意図や、どうやって選んだかといった話から、作家の反応やらいろいろ紹介。資料として作品リストが配られたが、「自分はメリルの役割」と認識したらしい大森さんの、ふつうはあまりSFとは言わないだろう作家たちと、目配りの効いた日下さんのセレクションが組み合わさってなかなか楽しそうな雰囲気。リストぜんぶは紹介してくれるな、と言われたのでリストアップはしないけど、たとえば岸本佐知子が「ネにもつタイプ」から選ばれるようなアンソロジー、というと雰囲気がわかるか。

最後がディッシュ追悼。ディッシュはあんまり読んでないからなぁ。「わからない作品だと言われているリスの檻だが、ほかのニューウェーブ系作品とくらべると、あれは格段に分かりやすい作品で、当時の人もあれぐらいはわかっていた。わかっていたからこそ批判がしやすかった」という指摘を興味深く聞いた。

夕食はいつものようにビィヤント。あそこのカレーはうまいなあ。

合宿1コマ目は海外SF情報収集法概説。いまSFマガジンで世界SF情報のコーナーを担当している細井さんによる「世界SF情報の書き方」伝授。なぜかその場にいた牧さんがこういう情報を2007年問題と絡めていたのが面白かったかも。しかしローカスを買ってる人があそこまで少なかったというのはどうなのか。というか、ある意味そういう人向けの情報だからそれでよいのか。

次は「海外SF短篇を漫画化したい!」。むかしアンサンブルでやっていた「最後のクラス写真は小田扉だよねー」というネタを膨らました感じのネタ。正直、客のまんが力と海外SF短編力が及ばず(含俺)微妙に滑っていたような気がしないでもないのだが、福本面で「ゲシュタルトが呼んでいるっ…!」がやっぱり可笑しかったのでよし。

3コマ目は水鏡子先生の新築の書庫の話を聞く回。やっぱりこういう書庫ネタは面白い。一般書籍ではあまり流通しづらい話題であるしな。

あとは大広間でふらふらしたり、ボイドキューブをいろんな人に見せびらかしたりぐだぐだしているうちに眠くなってきたので、さっさと2時過ぎぐらいに就寝。そのままクロージングを寝すごした。

さて、スタッフたちに叩き起こされて宿から出てみると辺りには誰もいなかったので、適当に近くの喫茶店に行ってみると見知った顔がいたのでそこで朝食。さてこれからどうするか(特に予定はない)と思っていると、これから観光をするという人たちがいるのでついていくことにする。というわけで、何年かぶりの京都観光として鞍馬山を登る。わりとふつうに登山だった。そうして奥院まで歩き、貴船神社まで降りてきて絵馬を見物したりしたあと、京都市内をうろうろし、本能寺を眺め、ランダムウォークに行き、うろうろしてから帰宅。


2008/10/13 いろいろ

最近とくに皆さんにお伝えしたい事実というのは「蒟蒻畑は凍らせてもウマい」ということである。完全に凍りきらず、かといってシャーベットとも違う独特の食感がよいのである。もちろん、あのサイズの氷塊を丸呑みするわけはなく、カップからちょっとだけ押し出して齧るようにして食べるとちょうどいい。食うなら自己責任で、といちおう書いておこう。お試しあれ、と気軽に書けないのは悲しいところ。

 

http://blogger.ukai.org/2008/10/3-code-reading-date.html を読む。面白いのだがGNUのdate前提になっている。まぁ話題はlinuxだろうからそれでいいんだが、たとえば最近でもMacとかの標準コマンド群はGNU coreutilではないから、これではちょっと困る。まぁ正直、あの辺はもうぜんぶGNU coreutilsでいいよ、という気もするのだが……(わたしはMacでも*BSDでもcoreutilを入れて使う軟弱者である)。

で、さらっとFreeBSDのソースを見てみると-jを指定すると時刻を更新しないらしい。あとは通常の-rを使えばいいから、date -j -r `date +%s`がFreeBSDでの正解といったところになるのだが、-jはMacのdateにはないようだ。FreeBSD dateに-jが導入されたのはログによると1999年で、OSXよりかなり前なのだが……。ちなみにOpenBSDには2005年、NetBSDには2006年に移植されたようだ。

ということで*BSDのやり方はすぐわかったのだがMacでのやり方はよくわからんかった。詳しい人はいませんか。

 

http://arton.no-ip.info/diary/20081010.html#p01

どうでもいいトリビアに類することだけど、code searchの件数調べによると、 defualt > deafult > defautl > defalut といった順番のようです(編集距離1の場合)。見たことないtypoだと思ったけど、やっぱりマイナーなミスのようで>defalut

なぜそんなものが実際のコードに存在するかというと、C的にはラベル扱いになるわけで、「そのswitchにはdefaultがない」と解釈されてコンパイルエラーにはならないという理由があるからなのですが、この種のミスをうまく警告するのはどうしたらよいか。-Wswitch-defaultをつけるとdefaultが存在しないすべてのswitchに警告を出すが、たとえば入力がenumですべてのenumを列挙しているような問題ない場合でも警告を出すので厄介だ。-Wunused-label(-Wallでも可)があると参照されないラベルに対して警告が出るから、これで「defined but not used」警告を出す、というあたりが現実的な解かな。

 

それにつけても、『ルーンマスカー』復活というのは何度見ても目を疑うよなぁ。これを機に単行本を引っぱり出して読み返してみたのだが、何とも言えない気恥ずかしさというかいたたまれなさというか、いわく言いがたい感情が襲ってきて大変なことに。


2008/10/14 風邪ひいた

いわゆる風邪の諸症状はほとんどなく、たいしてしんどくもないのだが、とにかく喉がいがらっぽく痰がよくからむ。

それにしてもここ数年、ほぼ毎年京フェスに行っているが、やはりほぼ毎年帰ったら風邪になっているような気がする。これまでは、参加を面倒くさがって当日参加にしたために部屋の準備(というか寝る布団)がなく、秋の冷える夜に大広間でゴロ寝したりするから風邪をひくのだと思っていたのだが、夜の2時過ぎから布団にくるまって部屋でぐうぐう寝ていた今年もひいたとすると、少し考えを改めなければならない。

きっとこれは風邪などではなく、さわやのあたりにある風土病なのだろう。

 

ところでChromeのシェアだが、うちでも調べなおしてみた。アクセス数は情けないぐらい少ないので比だけを書くと、IEが68.6%、Firefoxが19.4%で、残りがChrome 4.7%、Opera 3.9%、Safari 3.2%という比率。先週一週間のjmuk.orgへのアクセスについてIPアドレスをまとめたあとで集計した比率なので、まあそこそこ現実を反映しているといっていいだろう。低迷しているのは事実なのかもしれないが(数値は以前の調査より増えているが、あのときはIPアドレスでまとめていなかったのであまり参考にならない)、SafariやOperaよりユーザが多いという結果になった。

ちなみにこの「シェア」というのは、IE、Firefox、Chrome、Opera、Safariの合計が100%になるような算定になっているが(四捨五入してるので足しても綺麗に100にはならないけど)、実際にはほかのUAが山のようにいるから正しい意味でのシェアではない。そういう「ほかのUA」のほとんどは検索クローラと思われるが、むしろフィードリーダがかなり多いようだ。いつもほとんど同じUAのクローラとちがってフィードリーダはサブスクライバ数なんかも表示していたりするために綺麗に取り除くのが難しいので、「正しい」算定は面倒くさくなって諦めた。

おっとSleipnirを数えわすれていた。数値はOperaとほぼ同じだが、「シェア」の再計算は面倒なんでやりません。


2008/10/15 Developing iPhone Applications using Java

そういえば新Macだけど、まあそんなに凄くはないよな。モデルチェンジというぐらい。でもそろそろ買い替えようかと思って、新型を待ってたということもあり、そろそろ買うか、というぐらい(まぁでも、もそっと待ちますよ)。

例の「ボタンのないトラックパッド」というのはどういうやつか、と渋谷のアップルストアに行ってさわってみたが、「なるほど」という感じ。むかし、ボタンのないマウスってあったでしょうアップルに。マウス先端を押し下げようとするとクリック感があってクリックできるっていうあれ。まあ、あんな感じでパッド下部がクリックできる。あとまあふつうにタップしたりとかできますけれども。

 

という話とはまったく関係なく、http://jp.youtube.com/watch?v=s8nMpi5-P-Iというビデオを見た。iPhoneアプリをJavaで書く、という筋書きのもの。どうやるかというとJavaのクラスファイル(バイトコード)をいったんXML形式にし、これをObjective-Cに変換してさらにコンパイルすることでiPhoneアプリとして作る、というものらしい。ローカルにはiPhoneのウィジェットAPIを模倣するJavaクラスライブラリがあって、ローカルだとpure Javaで動くのだとか、そこそこ面白い。

Javaとはだいぶ違ったテイストのObjective-Cにマップするのはなかなかしんどいのではないかと思うが、その辺はわりと素気なくてたいして面白くなかった。たとえば、

  • Objective-Cにはオーバーロードがない→名前マングルで対処
  • Objective-Cにはスタティック変数がない→グローバル変数+名前マングル
  • Objective-Cには(iPhoneだと)ガベージコレクションがない→全メソッドでautoreleaseすればオッケー
  • オーバヘッドは?→こういうboilerplateはgccが最適化で頑張ってくれるよ

とかいった具合。

面白いのは、話者が主導している(らしい)xmlvmという話で、VMの記述をxmlにするという話なのだが、異なるVMを違うxml名前空間にマップして、さらにそれらを混ぜるといった怪しいことができると。で、それらをいろんな形式(JavaVMとか.NetCLRとかObjective-CとかJavaScriptとか)に吐き出すことができてハッピーなのだそうだが、最近は入力としてRubyVM(いわゆるYARV)も対応したらしい。

つまり、それを使うとRuby(1.9系)でiPhoneアプリを開発できる(かもしれない)ということで、そうだとするとちょっとわくわくしてくる、かも。


2008/10/17 訃報: バリントン・J・ベイリー

うあー今年の訃報にはまだこんなものが残されていたのか……。ローカスオンラインによるとベイリーが死去したとのこと。

「好きなSF作家は?」と聞かれたとき、(相手が濃いSFの人でない場合は「知らないだろうけど」と前置きを置いた上で)わたしがまっさきに挙げるのがバリントン・J・ベイリー。享年71。わたしが管理しているcity5.orgというドメインがあるんですが、これも彼の短編集のタイトル『シティ5からの脱出』から来ています(元の短編集の表題作は Exit From City 5じゃないんですけどね)。

好きな作品はというと『時間衝突』『カエアンの聖衣』『光のロボット』といったところでしょう。この『時間衝突』ですが、「時間」というのは実は過去から未来へ波として伝わる意識のことだ、というのが基本設定になっています。なので時間遡行して過去の世界を見ると、その時点の人々はもう時間波が失なわれて意識がなく、操り人形のように生気のない状態で動いていると(というようなイメージは、『光のロボット』などにもあるように、ベイリーお気に入りのものというかテーマみたいなものなのでしょう)。さて、そうして時間遡行した主人公たちはある事実に気付きます。というのは、主人公たちが過去から未来へと意識の波が伝わっていく正面に、未来から過去に向かってのもうひとつの波が押し寄せてくる! 衝突したら大変なことになる。時間波は意識なのであるから、相手の時間波を構成する意識を全て殺せば世界は救われる、と考えた両陣営は壮絶な時間戦争(地面に爆弾を埋めて相手の時間波が到達するあたりの時刻で爆発するとか)を開始する……というストーリーです(かなりネタを割ってます)。

これだけでかなり無茶苦茶ですが、実は時間をナナメに移動して衝突を回避する斜行存在とかが時間戦争勃発を見物していたりして、すンごいのであります。

「衣は人なり」というカエアン文化が実に素晴しい『カエアンの聖衣』、ロボットに魂があるか、という問題を歪つに取り扱った『ロボットの魂』『光のロボット』、至上最強の武芸者、小姓を従え、不思議な力を持つ「禅銃(ゼンガン)」を手に入れてしまったサル!という設定だけでお腹いっぱいな『禅銃』など、奇妙奇天烈で異様でヘンテコで間違ったオリエンタリズムを混ぜることにかけては一級品だった凄い作家でした。

ベイリー様。これまでヘンな作品ばっかり読ませてもらってありがとう。あなたがいなかったら、わたしのSF観はもっと真っ直ぐだったと思う。

 

なお、日本での紹介は93年の『光のロボット』刊行がほぼ最後でその後はいくつか短編が翻訳されたぐらいだと思いますが、実際その後はほとんど作品を発表していない。ウィキペディアでは2002年ということになっている Sinners of Erspia(1997年)とThe Great Hydration(1998年)が十年ちょっとぶりぐらいの新作で、けっきょく長編はThe Great Hydrationが最後になってしまいました。

そういえばSinners of Erspiaはけっこう前に読んだのでちょっと紹介しておきましょう(The Great Hydrationは未読。持ってるけど)。舞台はErspiaという名前の惑星。この世界は太陽神を奉じ善を愛する光の部族と、月神を奉じる悪逆な闇の部族に分かれて争っています。光の部族に生まれ育った主人公の女性は、ある日「神なんているもんか。ただの気のせい。こんな堅苦しい部族は抜けだそう」とか恋人に誘われてのこのこと闇の部族のテリトリーに侵入、恋人はあっさり殺され主人公も囚われの身になってしまいます。そこで主人公は謎めいた「客人」と出会います。この者こそ、実は外惑星からやってきたのだといいます。

そこでこの人物に主人公は問い掛けます。神はいるのか。気のせいではないのか。答えは「います」。

実はこの世界の太陽も月も実際には人造物。それぞれの中核には精神エネルギーを投射する装置が据えつけらえていて、太陽は善の心を、月は悪の心を発信している。それらは実際に人々の心に影響を与える。それが神の正体なのだと(ちなみにこの人は銀河連邦で禅を学んでいたので精神エネルギーの影響を受けません(笑))。

なんだかんだで主人公とその人は不時着した宇宙船を修理して宇宙に脱出し、太陽と月を破壊することを試みます。結果として太陽を先に壊したところ、 Erspiaの住人はみんな心が悪に染まって争いあい全滅。月の破壊も完遂しますが、せっかく直った宇宙船も壊れ、月が投射する最後の精神エネルギーをまともに浴びた主人公は心が悪に染まりきって戻らなくなってしまいます。そしてそのまま宇宙を漂白する旅が始まる……というところで1章がおしまい(2章だったかも)。ぜんぶで10章ぐらいあります(笑)。その先も、なぜかErspiaと同じ名前でぜんぜん違う(けどおおむね似たようにヒドい)世界を訪問する話が幾度か続いて最後は創造主と対面しておしまい、みたいな感じで、オチは面白くなかったと思うんですが、ゾロアスターみたいな世界(なのです)を設定しておいて「神は実際にいて、でも本当は機械で精神エネルギーを投射しています」みたいな超即物的なところとか、いや本当にすごいよね。


2008/10/21 1つ前の記事の修正

後で気づきましたが、ベイリーの最後の長編はThe Great Hydrationじゃありませんでした。Eye of terrorが1999年で、こっちの方があとなんですね。

この本も未読なんですが、これは実は『ウォーハンマー40k』というゲームのノベライズというか小説版です。ウォーハンマーといえば言わずとしれたGames Workshopのファンタジーゲームで、ヨーロッパ中世の暗黒時代風の風俗や迫り来る「混沌」の侵略といったダークで猥雑な雰囲気のゲームです。40kは、そのファンタジー世界の4万年後の世界で、高度なテクノロジーを持つ人類とかエルフとかが宇宙空間とかで相変わらず混沌の軍勢と戦うといった趣向のSFものらしい。で、この小説版というのが出ているんですが、なぜかベイリーが書いているという次第。ほかにSF方面で有名どころだとイアン・ワトスンも書いています。

ちなみに短編も同じく40k関係の作品をいくつか発表しているほか、インターゾーン2000年10月号に短編が掲載されています。これが最後かなあ(ちょっと自信ない)。


2008/10/23 フリップフロップ演算子にはいつも混乱する

http://www.kt.rim.or.jp/~kbk/zakkicho/08/zakkicho0810c.html#D20081022-3

Rubyではブロックローカル変数は繰り返されるごとに初期化される、というだけかと。

>> ([true, false]*3).each{|b| x = "foo" if b; p x}
"foo"
nil
"foo"
nil
"foo"
nil
=> [true, false, true, false, true, false]

で、ここでのキモは (first=true)..false はフリップフロップ演算子なので、

  • 1回目のループでは左辺条件が実行され、trueなので右辺条件が実行され、falseなのでこの条件式自体は真
  • and first なのでif式の条件も真なので実行される
  • 2回目以降は右辺条件だけが実行され、左辺条件は実行されないまま結果は真
  • and first だがfirstはブロックローカル変数なので初期化されていて、代入文が実行されなかったのでnilのままとなり、条件全体は偽になる

ということですね。

それにしてもフリップフロップ演算子って現実的にどれぐらい使われているものなんですかね。使ったことないなあ。


2008/10/25 選挙ポスターのはなし

ところで、またマウンテンビューにいる。

で、街中をふらふらとしていたらデカデカと人名が書いてあり、脇にCITY COUNCILとか書かれた謎の立て看板が林立しているのを何度も見かけた。どうも市議会議員選か何かがあるらしいのだが、驚くのは情報量の薄さだ。有益な情報としては、名前ぐらいしか情報がない。あと文言としてあるのはCITY COUNCILとかVOTEくらい? 自分のページを持ってる人はURLも書いてあるけど、基本的に「俺に投票してくれ!」という主張しかしていないわけだ。そんなのありか。

日本の選挙ポスターを見てみると、だいたい基本フォーマットは名前と顔写真、それによくわからないキャッチコピーだと思う。ああいうのによくある具体性に欠くキャッチコピーにも辟易していたのだが、顔写真もなし、コピーも選挙にかける意気込みもなんにもなしで「VOTE VOTE VOTE」と書かれるとさすがにげんなりする。こっちの人の感覚からするとそんなでもないんだろうか。ないとないで寂しいものだ。

しかしなんだな、どうせ選挙ポスターの内容量なんてしょぼいもんだし、あんなものを見て投票相手を決めつやつなどいないだろう(選挙カーなんかも同じ)。つまり効果という意味では同じようなものなのだから、みんながこうならこれでいいのかもしれず、いったい自分が何に驚いていたのかよくわからなくなる。たかが市議会議員レベルでも個人のドメインを持っていて選挙に活かそうという発想を持っているだけマシなのかもしれない。

オチはなし。

関係無いけど沖縄の選挙の話をちょっと思い出した。「けいこ」とだけ書かれたポスターとかはテイストが近い(けど、こんなお祭り騒ぎではない、もちろん)。

(追記):

で、またふらふら歩いていたら A BETTER MTN. VIEW というキャッチコピーも書いてある看板を発見したので、折角書いた文章の前提が崩れてしまった。でも、全く無意味だけど見るとこういうのがあるとなんか安心するな(笑)。


2008/10/26 エロゲーの歴史

http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-539.html

少なくとも、回収騒ぎがあってモザイクを入れたり18禁マークができたりソフ倫が立ち上がったのは90年代前半なんですが(ウィキペディアによると91年らしい)、ちょっとそうは読めないでしょう、これ。

ほかにもいろんな流れがあるのを記述し切れておらず偏っているが、まあそういうものとして読むべきだね。こういうのは語りたがる人が多いし、その人の数だけ別の歴史があるものなのでなかなか難しい。そうしたなかではまあまあバランスがいい方だろうと思う(思うが、私のエロゲーの知識は相当昔で停滞しているのでわからん。長らくウィンドウズ持ってないからね)。

それにしてもアリスソフトのゲーム性の高いものが完全に無視されているなあ。たしかに主流ではなかっただろうが(しかしなんだな、こんなふうに何かに言及すると、自分がそれに強い思い入れがあるように読まれる気がするのが難しいところだ)。

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ところで、はてブの反応を見ると「これはひどい」という人もいるが、ひどいとまでは言いがたいところ。何かを無視しているというのを、個人的な思い入れを除外して、取捨選択の結果として特定の作品が除かれているという理解のもとで観察するとそれほどひどい取捨選択というわけでもないというところだろう(ウィキペディアの微妙な記事を読んだ時の感想に、そういう意味で似ている)。うーん。