というわけで、追い討ちをかけるようなことかもしれないが劇場版も見てきた。
ぐったりした。
ええと、まずフォローをしよう。上で書いたように白倉さんの本を読んでいると、彼の問題意識がクリアにあらわれている映画だということはよくわかる。でまあ、その問題意識じたいはそんなにつまんないものじゃない。
のだけど、響鬼には見事にマッチしていないのだなあ。でないと「魔化魍になる」なんていう台詞はでてこないでしょう。設定的に出てくるはずのない台詞。あの世界の魔化魍というのは、既にそうで「ある」ような妖怪だとばっかり思っていたんですがね。
そのような世界観であって、「鬼」が人間を守る存在でありながら恐れ、忌み、疎まれる存在であるというところとか、「ヒーローとは何か」「正義とは」「悪とは」というのがモロに出ています。
まあ脚本がそれを追いきれてるかつー問題はさておこう。
さてはて。そういう話をやるなら勝手にやっていただければいいのであって、だからパラレルワールドないしは白倉&井上コンビによる二次創作(ただし「原作」無視)と考えれば許せないところではないのだけど。
あまりにもあまりな展開に泣けてきます。
時は戦国。村を襲う魔物を退治するべく「御当地ライダー」7人+ヒビキさんが集結するというのが基本コンセプトなんですが――戦国時代。年に一度の生贄が決まってから「鬼(ライダー)」を探しはじめるわけですよ。君らはあれか、戦国時代に延々と北海道から福岡まで行脚したのかね。どんだけの短期間なんだよ。もしくは生贄を捧げるまで、どんだけ時間の余裕があんだよ。謎すぎる。
他にも「なんで明日夢クンとヒビキさんがいっしょにバイクに乗って魔化魍の現場に急行するの?」「ってかこの現代パート、童子と姫はどうした?」「新キャラ5人の変身アイテムはみんな音叉って手を抜きすぎじゃないですか」「音叉をなぜか刀に変化させる技をつかって殺陣ってどゆこと」「変身を解くと元の服を着ているよ!」「戦国時代なのにプラスチックっぽいディスクアニマルをそのまま使用。あまつさえ巨大化」「ていうかこの脚本家は『清めの音』という基本コンセプトを理解しようというそぶりがないなー」などなど、言いたいことはいろいろあるんですが、まあいいやめんどうだし。
まとめると、
と、前向きに検討しておこう。思えば先週は、本格的に変貌するであろうことを踏まえた上で、最低限自分たちのやりたかった事だけなんとかやってから終えたということだったのだなあ。すばらしい最終回だった。
ところで、この白倉さんのヒーロー物に対する問題意識というのは、『仮面ライダー THE FIRST』であれば、遺憾なく発揮されるのかもしれず、そこにちょっとだけ期待をしている俺ガイル……んだけどこっちも脚本が井上敏樹。ぎゃふん。もう井上はいい。