フェルディナント・フォン・シーラッハ『罪悪』 http://amzn.to/xlhsQw
読み終えた。前作『犯罪』もすごかったが今回も良い短篇集。それにしても、漢字二文字というのは似たような雰囲気で読者に買わせようという腹か、などと思っていたのだが、それだけでもないなと思った。前回も、なるほど「犯罪」と呼ぶことでしかまとめようのない奇妙な物語が並んでいたが、今回は少し趣が異なり、これを「罪悪」と呼ぶのは確かにふさわしい。原題もそっけなく SCHULD なんだよね。これは英語のguilt、つまり罪悪感の意味だ。
はじめの短編、「ふるさと祭り」は本気で嫌な話なのだが、これを読みながらその違いを思った。この話のなかに次のような一節があるのだ。
そして罪悪を感じるということが、訴訟とまったく別物であるということを。
『犯罪』では、様々な理由から社会からはみでてしまい、犯罪とみなされる行為を行うに至った人間が描かれる。『罪悪』も基本の構成は同じだ。そこに弁護士である主人公が狂言回し的に登場し、しかし完璧に傍観者の視点で淡々と事件を描く。
だがその描き方が、『罪悪』では少し違う。『犯罪』では淡々と犯罪行為が描かれ、それが事件として捜査されたり起訴されたり、されなかったりする。起訴されるが様々ないきさつから罪を問えないこともある。だが、罪に問われなかった本人が罪悪感を感じなかったか、というのはべつの話だ。この本は主にその「べつの話」に焦点を当てている。
このテーマを念頭に置くと(わたしが勝手に念頭においているだけだが)、なかでも「遺伝子」「子どもたち」などが強く印象を残す。どちらも同じく、何らかの犯罪や事件を描いていつつ、同時に事件に関わった人間がどう感じたか、といったことが鍵になっている。
もっとも、そのテーマに沿った作品ばかりというわけでもなく、「アタッシュケース」や「司法当局」などはとくに『犯罪』のテイストが強い。そしてそういう作品も変わらずに面白いのだけど。
あと、最後のショートショート「秘密」が個人的にはヒット。まぁショートショートだとよくある話かもしれんけど……。星新一が書いていたらそこまでは来なかったかもしれないが、シーラッハがこういう球を放ってくるとは思わず完全に不意打ちの感。
読み終えた。前作『犯罪』もすごかったが今回も良い短篇集。それにしても、漢字二文字というのは似たような雰囲気で読者に買わせようという腹か、などと思っていたのだが、それだけでもないなと思った。前回も、なるほど「犯罪」と呼ぶことでしかまとめようのない奇妙な物語が並んでいたが、今回は少し趣が異なり、これを「罪悪」と呼ぶのは確かにふさわしい。原題もそっけなく SCHULD なんだよね。これは英語のguilt、つまり罪悪感の意味だ。
はじめの短編、「ふるさと祭り」は本気で嫌な話なのだが、これを読みながらその違いを思った。この話のなかに次のような一節があるのだ。
そして罪悪を感じるということが、訴訟とまったく別物であるということを。
『犯罪』では、様々な理由から社会からはみでてしまい、犯罪とみなされる行為を行うに至った人間が描かれる。『罪悪』も基本の構成は同じだ。そこに弁護士である主人公が狂言回し的に登場し、しかし完璧に傍観者の視点で淡々と事件を描く。
だがその描き方が、『罪悪』では少し違う。『犯罪』では淡々と犯罪行為が描かれ、それが事件として捜査されたり起訴されたり、されなかったりする。起訴されるが様々ないきさつから罪を問えないこともある。だが、罪に問われなかった本人が罪悪感を感じなかったか、というのはべつの話だ。この本は主にその「べつの話」に焦点を当てている。
このテーマを念頭に置くと(わたしが勝手に念頭においているだけだが)、なかでも「遺伝子」「子どもたち」などが強く印象を残す。どちらも同じく、何らかの犯罪や事件を描いていつつ、同時に事件に関わった人間がどう感じたか、といったことが鍵になっている。
もっとも、そのテーマに沿った作品ばかりというわけでもなく、「アタッシュケース」や「司法当局」などはとくに『犯罪』のテイストが強い。そしてそういう作品も変わらずに面白いのだけど。
あと、最後のショートショート「秘密」が個人的にはヒット。まぁショートショートだとよくある話かもしれんけど……。星新一が書いていたらそこまでは来なかったかもしれないが、シーラッハがこういう球を放ってくるとは思わず完全に不意打ちの感。








